2022年9月2日

アメリカの中学校:中身編

前回のブログでは、アメリカの中学校探しについて述べた。
今回は、中学校の様子について述べる。
総論するのは難しいので、印象に残ったことをいくつか述べるのみにする。

音楽教育にすごく力を入れている。私の子どもの中学校だけでなく、学区全体でである。
小学校は(なぜか)1〜4年生で、4年生になると楽器を1つ選択させられる。
中学校は5〜8年生で、絶対必修ではないが、5年生からは学校のバンド(日本のブラバンとほぼ同じ構成)またはオーケストラ(弦楽器)を選択する(コーラスを選ぶ人もいる)。選択するというよりは、やる楽器に応じてどちらに所属するかが自動的に決まる。例えば、私の子どもで中学生の2人は、それぞれフルートとクラリネットなので、バンドとなる。
音楽の授業とは別にバンド(ないしオーケストラ)の授業がある。学校の講堂を夜に使うような発表会は結構頻繁にある。コロナ当初は発表会は中止になっていたが、2021年の終わり頃からは、普通に開催している。
うちは音楽な家なのでこれはとても嬉しい。
一方、親子とも音楽に興味がない家庭は、歓迎でない場合もあるだろう。というのも、学校税(学校税については前回のブログに書いた)の一部は、バンド(やオーケストラ)の先生の給料や活動資金に回されているはずなので。
7年生からは、履修し続ける人はかなり減る。逆にいえば、少数精鋭だ。
そして、郡レベルなどのオーディションが年に2回くらいある。これを勝ち抜くと、郡のバンドの演奏会で弾く機会が与えられる。そうやって、上にどんどん階段がつながっているようだ。私の研究グループの大学院生の一人は、同じ学区の出身ではないが、高校のときに、ニューヨーク州全体のバンドでフルートを吹いたそうだ。
そういうオーディションなどに取り組むには、個人的な先生について習うことが必要不可欠である。学校でも、個人レッスンを授業の一貫としてそれなりにやってくれる(それだけで、私は驚いた)。ただ、それでは足りないので、本気の場合には、先生について練習する。というか、個人的な先生につくことがオーディションに出るための条件になっていたりする。
日本だと、ピアノは大衆化しているが、他の楽器を習うのは結構高級家庭な感じがする。私は少なくともそう感じる。こちらでは、もっと大衆的だ。習い事としての地位が、ピアノと他の楽器の間で対等程度、ということかもしれない。

学校の個々の授業については、すごく得点化されている。小テストなり提出物なりが頻繁にあり、それぞれに得点がついていて、成績が数字でよく管理されている。成績は、オンラインで個人ページがあってそこで見れるので、親もいつでも確認することができる。
これは便利だ。
とはいえ、中学生以上になると、生徒が個人で自己管理できることを徐々に(7年生からは、と先生は言っていた)求められる。成績は親もオンラインで細かく確認できるものの、提出物やテスト日などについては、もちろんそうでない。子どもの管理能力でも差が出そう。日本でもそうなのかな。

飛び級が身近にある。
これは、日本にも(私が5年半住んだ)イギリスにもない。
日本に飛び級が(ほぼ)ないのは、横並び思考のせいだろう。出る杭はたたかれる。
イギリスに飛び級が(ほぼ)ないのは、多分そこまでの制度をがんばって作ろうとは思わないからだろう。それに、イギリスでは出る杭はたたかれないが、子どもにそういう競争させるのを嫌がる傾向があるように見える。
アメリカは、うちの学区やその周りでは、飛び級は普通に制度化されているようである。
多分成績に基づいて、次の学年では1つ先の学年の何々の授業を履修してもよいとかいう通知が、学年の終わり頃に来る。
学年を飛ばさない場合も、数学の授業が習熟度別に分かれていたりする(これはイギリスでも見た)。

大学の数学プログラム。
私の勤務先(ニューヨーク州立大学バッファロー校)では、Gifted Math Program(GMP と呼ぶ)という、数学をがんがん進めるプログラムがある。7年生から始まる選抜制で、年に60人程度を募集する。
どこに住んでいるかは関係ない。公立校、私立校も問わない。
GMP に入ると、要するには、数学をがんがん進める。GMP そのものについては、また今度のブログで書きたい。
GMP は学校のプログラムではない。しかし、学校の数学の授業の代替となるという意味で学校と連携している。
つまり、週2回の放課後に行われる GMP に参加していると、その成績が学校に報告され、その代わり、学校の正規の数学の授業を履修しなくてよい(履修してもよい)。
GMP の方が学校の授業よりかなり難しいので、得点は普通は落ちる。
ただ、学校の数学での95点と GMP の 85点が同等(数字はここでの説明目的であり、本物の数字ではない)といった何となくの換算基準があるようであり、GMP に入って損をするようなことにはなっていない。

スクールバスが家の前まで迎えに来る。
アメリカの黄色いスクールバスは、映画などでまあまあ知られている。あれが家の前まで来る。
イギリスのときは、(地域によるかもしれないが)スクールバスはなかった。また、日本と異なり、子どもが勝手に登下校してはいけない規則があるので、少なくとも小学校4年生程度までは、親が毎日付き添って登下校をする。車で行けば学校周辺は当然渋滞するし、歩くと子どもの足で片道30分くらいの微妙な距離で、両親としては苦痛だった。
この毎日の業務がなくなったのはありがたい(ただし、私はこの業務を10回か20回に1回しかやっていなかったので、偉そうに言う権利はない)。
アメリカの初日にスクールバスが普通に来たことの感動は忘れられない。
なお、スクールバスは、学校税とは関係なくあまねく存在するようだ。

多様性。これはイギリスにも共通する。生徒の背景が多様だ。
多様さの度合いは、イギリスやアメリカのどこにいるか、あるいはバッファローの中のどの学区、さらにはどの学校であるかに依存するようだ。
自分の子どもが行く中学校は、学区のトップと認識されているからか(順位は毎年変わるし、学区内の他の中学校と順位でも大して差はないのだが)、意識の高い親が引っ越してくるようだ。そして、そういう親は、外国人を初めとして(自分らもそうだ)、多様であることが多い。
海外に住んでいる人は想像しやすいこととして、中国、韓国、インドなどは教育熱心な傾向があり、そういう親を持つ子はうちの子の中学校に多い。ただ、実際には、もっと多様である。アラブ、南米なども。
日本人は希少種だ。日本人は、そういう教育熱心さにおいては中韓などと変わらない。ただ、日本人の数が圧倒的に少ないのだ。

外国語の授業。
スペイン語かフランス語のどちらかを履修する。
アメリカでは、英語以外の中ではスペイン語の存在がダントツで大きい。
大雑把に言うと、スペイン語が母語である国が多いラテンアメリカと隣接しているからである。
ところで、バッファローはカナダに隣接している。
カナダでフランス語を話す地域(ケベック州など)はバッファローのすぐ北隣にあるわけではないが、その代表都市であるモントリオールまで車で6時間である。同じ州内であるニューヨーク市に行くよりも近い。英仏両方が話される首都オタワまでは車で5時間である。そのため、アメリカの西海岸や南と比べると、個人的には(あくまで個人的)フランス語に少し親近感を感じる。「スペイン語かフランス語」となっているのは、そのせいなのだろうか。