2022年5月23日

10年ぶりの博士号輩出

10年ぶりに、自分の指導学生としての博士号を出した(2人同時に)。

ここまで長かった。
理系の研究大学では、博士号を何人出したかは、大学教員にとって結構大事だ。我々の履歴書上も大事だろうが、実質的にもそういう卒業生が将来どこかの大学で教員になって(自分の勤める大学より格上の大学のこともある)、何かの仕事を一緒にやるかもしれない。実際、私は、自分の指導教員に大きなプロジェクトに加えて頂いて(日本に私がいない分、色々な不便をおかけしているはずなのに)、今一緒に仕事をさせて頂いている。あるいは、博士号をもった学生が企業に就職して、インターン・就職の斡旋・産学連携などで元指導教員と協働するかもしれない。

私は博士課程の学生を指導したり雑談をしたりすることは好きだ。
なので、博士号をどんどん輩出したいと、日本で大学教員になった当時からずっと思っている。
しかし、その道は平坦でなかった。
東大のときに博士号を2人(この2人も同学年で、同時卒業だった)出しただけなので、合計4人である。
私は大学教員歴16年で、今まで属してきた3つの大学はどれもひとかどの研究大学である。それにしては、博士号4人というのは少なく、指導教員の実績として成功しているとは言えない。

前職の東大とブリストル大学では、それぞれ異なる理由で、博士課程をリクルートするのが難しかった。

東大では、(東大に限ったことではないが)大学院にもしっかりとした入試試験があった。
外部からの受験生よりも内部生(学部と同じ大学院を受験すること)の方が受験に強い傾向があるようで、私の指導下には内部生が非常に多く入ってきた。
ただ、この大学院入試が、修士課程であることがポイントである。
修士号をとってそのまま(博士課程の入試はあるとしても)博士課程に進む学生は今では少ない。
工学部だったこともあってか、少なくとも私のいた当時について言うと、ほとんどの学生は修卒で就職した。

実は、私は人気はあったので(えっへん!)、外部(東大の他の学科や、東大以外の大学)の学部生から、私のところに大学院で入学して、それだけでなく博士課程までやりたい、という希望者が毎年のように私のところに会いに来た。
私としては、そういう学生は基本的にほぼ全部歓迎だった。
しかし、これらの学生は私の所に来れなかった。
私個人としては、入試問題を解く能力は内部生に劣っていたとしても、外部の教員にコンタクトしてまで博士課程の指導教員を探すようなタイプの学生が欲しかった(というか、博士課程の学生を指導したかった)。基礎力が低すぎる人はたしかにお断りなのだが、私に会いに来た10人以上の中で、この基準にひっかかって私が受け入れたくないと感じた人は一人もいなかったと思う。
とはいっても、入試は入試。どんな学生が欲しいなどと私情を言ってもしょうがない。

ブリストル大学では、とにかくお金の問題だ。生活費と高い学費がかかり、これを普通は教員側が工面する。
これを手当できる奨学金相当のものでイギリス政府から来る標準的なものがある(だまっていれば、そのようなお金が学科に降りてくるわけではないが、ここでは単純化してこのような言い方をする)。しかし、そのお金は、イギリス人の学生(永住権保持者を含むと思う)および、イギリスで学部教育を受けた EU の学生に限られるという大きなハードルがあった。

イギリスは、人口の割に優れた大学が多い。
約 6500 万人の人口に対して、オクスフォード、ケンブリッジ、Imperical College London, University College London をはじめとして多くの強い大学がある。そして、これら 4 強に限らないどの大学にも、イギリス人(および、上記と類似の条件での EU の学生)の博士課程学生をとれる枠はまあまあある。イギリス人で博士課程に行きたいと思う人は、そんなにたくさんいない。したがって、実際の枠の埋まり方はさておいて、私の教員目線としては、これらの枠の数ほど学生がいないという印象だった。

ブリストル大学には、博士課程を雇用する他のいくつかの仕組みもあった。
例えば、中国とブリストル大学の間の協定で、双方がお金を出し合って、ブリストル大学に中国人の博士課程を毎年数十人入れる、という新しい枠組みがあった。ただ、私は、それもうまく使いこなせなかった。この枠組みで私を指導教員として内定を得るまでこぎつけた学生がやっぱりイギリスに行くのをやめることにしたり、他のほぼ内定した学生が書類不備で最後で落とされた、などの事例があった。
結局のところ、私のリクルート実力の不足である(それは東大についても同じだ)。
私の履歴書を見ると、ブリストル大学で博士課程を指導した業績があるが、それは副指導教員などとしての役割である。

バッファロー、ないしアメリカの大学一般では、teaching assistant (TA) という仕組みがある。
これによって、国籍を問わず、一定数の博士課程学生の供給がある。
指導教員を選ぶのは、個々の TA 学生であるが、TA 学生が私のグループで研究をしたい、と思えば、指導教員が受け入れればできる。
また、競争的研究費を獲得できれば、それを使って research assistant (RA) として学生を雇うのも一般的だ。
TA も RA も、学費と生活費が工面される。

競争的研究費は、日本にもイギリスにもある。ただ、日本とイギリスでは、競争的研究費を確保することが、ポスドクの雇用にはつながるかもしれないが、博士課程学生を増やすことにはあまりつながらないと感じる。イギリスでは、博士課程学生を雇うのに使ってよい個人研究費にかなりの制約がある。
日本については、間違っていたら日本の大学人の方に正してもらいたいが、研究費が潤沢な研究室にたくさん博士課程学生が集まるということはあまり聞かない(もちろん、実験系だったら、研究費と実験環境の充実度は関係しているかもしれないので、学生は研究費が多い研究室に行きたがるかもしれないが、私はよく知らないので)。

2人卒業してもなお、私が指導する博士課程学生は6人いるので、今後も博士号がコンスタントに出そうだ。
今回の2人を含め、色々な国籍や文化の学生がいて、彼らの将来の軌跡が楽しみだ。