2017年5月17日

赤の他人への対応、不惑での変化

三つ子の魂百まで。

そこまで言わなくても、人間、大人になってから変化するのは難しい。

例えば、コミュニケーション力を高める努力をしましょう、と言っても行動を始めることができない若者はたくさん見てきた。どう変えるべきか、何を試すべきかを頭では分かっている場合も多い。ただ、彼らのそれまでの人生 20〜25 年の蓄積はすでに、変化を難しくしていた。
二十歳過ぎたら人は変わらないか、と思ったものだ。

もちろん変わる人も多くいる。
自分は、何を隠そう、コミュニケーション力についていえば、18〜28 歳位の 10 年間で格段に改善した思っている。
変わる努力をしたのだ。えっへん。

ところが、20歳はおろか、38歳になるまで、変える必要にも迫られず変えずに来てしまったものがある。

それは、「赤の他人への優しさ、対応」である。

もちろん、私は他にも色々変えるべき部分があるだろうが、今回は「赤の他人への優しさ、対応」に限定する。

日本人、東京生まれ、東京育ち(八王子は東京都です)。
自分も含めて、このような生い立ちの人の多くは赤の他人に冷たい。

他人にぶつかっても謝らない、自分だけ先に行こうとする、店員には厳しい、他人に話しかけられても無視する、お年寄りや家族連れのヘルプをしない、逆に他人様にすごく遠慮する(赤の他人と関わることに対する防衛なのかもしれない)、といった日常の光景である。
赤の他人に話しかけるのが社会マナーに反するとされる、助けようとすると逆に変な目で見られる、などの色々な原因があるだろう。
そこで育つと、大人になってから赤の他人への応対を変えるのは難しいだろう。
少なくとも私はそうだ。

イギリス国は、赤の他人に対する振る舞いについては日本国とかなり異なる。
ロンドンはよく知らないが、少なくともここ Bristol(ブリストル)は東京と異なる。

赤の他人に対して「東京風」に振る舞ったら、ブリストルでは失礼というか残念な人に見られるだろう。
つまり、ぶつかっても謝らない、道を譲らない、目を見て話さない、赤の他人のふってきた雑談に合わせない(ただし、怪しい人はやっぱり無視すべきだ)など。
英語の問題ではない。

私も、38歳でイギリスに行くまでは、赤の他人に対して典型的な東京人だった(ただし、33歳で子どもができて幾分は改善した)。
しかし、イギリスに来て変わった。
現地に溶け込む暗黙の努力でもあるし、みんながそうしてるので自分も自然に真似るようになる。
また、最初は恥しいと思いながらドアを譲ったりするのだが、受け手は 99% 好意的に受け取ってくれる(軽くお礼を言われるとか)。
すると、次も行う気が起きる。
日本だと、ネガティブな反応が返ってくるか無視されるかが多いので、1回やってみても、次回は萎える。

なので、イギリスに来て3年経って、イギリスにおける赤の他人に対する振る舞いは、まあだいたいイギリス基準になった(と思う)。
疲れてたり苛立ったりしているとダメな時が多いので、もう少し改善したいけど。

本当の挑戦は、日本でどう振る舞うかである。

1つのやり方は、イギリスと日本で使い分けること。
意識的に使い分けるというよりは、無意識に使い分けてしまっている自分がいる。
日本に行って最初の数日は移行期間があるが、その後は、昔東京にいたときと同じように振る舞っているのである。
つまり、赤の他人に優しくない。

しかし、それは面白くない。
自分の子どもに見せたくもない。

したがって、目標は、相手に多少不快だと思われてもイギリスと同様に振る舞うことである。
することは、なんてことはない。
道やドアを自然な範囲で譲るとか、店頭でお礼を言うとか、困ってそうな人に話しかけるとかである。
もちろん、相手の日本人は、一定以上より中に入ってこられるとうざいと思う(人が多い)だろうから、そこはバランスで。
でも、そのバランスを少し崩したい。

他の意識の持ち方としては、子どもと一緒のときに、「こう振る舞うのだ」ということを日本でもイギリスでも実行する。
そして、子どもが見ていなくても同じように振る舞う。

これができれば合格で、不惑(40歳)になっても自分を変えられるということである。