2013年2月11日

テレビのない子育て

アメリカで、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)が徐々に失われつつあると言う。個々人の能力を人的資本と呼ぶのに対して、社会的資本は、人と人の間の関係性に宿る資本である。その定義はしばしば曖昧だが、誰を知ってるか、誰と誰がつながっているか、といったように極めてネットワーク的な発想である。

前著を書くために調べて知ったのだが、アメリカの社会関係資本の危機は、社会学者 Robert Putnam(パットナム)が実証し、邦訳されている「孤独なボウリング」という本にまとめられている。分厚いが読みやすい。彼は、詳細なデータ解析に基づいて、その主原因をテレビに帰している。週に平均30時間以上もテレビを見ていることが社会関係資本の弱体化の主原因だと言う。この数字は、色々な調査から裏付けされている。

週に30時間!

日本では、インターネットやスマホの台頭もあってテレビ離れが言われるが、それでもテレビを見ている時間は同様に長いそうである。少なく見積もっても、1日3時間か。

自分は、テレビをほとんど見ないで育った。そもそも、チャンネルは父親に支配されていた。一年間で見る番組が箱根駅伝だけ、という年も多々あった。そのように育つと、困ることが2つある。

  • 芸能系の話題についていけない。それがために仲間はずれにされる可能性も考えられたので、小中高では芸能コンプレックスがあった。
  • 本番組とコマーシャルの境目がわからない。番組をじっと見ていたら脈絡のない人や背景がどこからか登場する。なんで? この人達は誰だ? と考えていると、最後に商品名が出てきてやっとコマーシャルだと知る。

今もテレビを見ないので(箱根駅伝を3年に1回くらい見る)、日本人の99%は知っているとされる有名人を、自分は知らないことがある。ところが、便利な時代になった。仕事のミーティングでその有名人が話題になるならば、前もってネットで調べておけるのだ。特に Wikipedia を読んでおけば、芸能音痴でないフリを簡単にできるようになった。

翻って教育である。私はアンチテレビ派なので、自分の子どもにテレビを見せたくない。そもそも、テレビでは誰もが金切り声か演技声(ドラマなど)のどちらかでしゃべってるように聞こえ、コマーシャルは耳障りでストレス急上昇である。まあ、私のうんちくは脇においても、「子どもにテレビを見せ過ぎてはいけない」というのはよくある議論だろう。

昔だったら、話題に落ちこぼれてみじめな思いをしないように、ある程度は子どもにテレビを見せてあげたかもしれない。しかし、Wikipedia 先生の例が示すように、今となってはそういう配慮の必要はない! ならば、全くとは言わないまでも、教育的な番組だけ見せればよい!?

ところが、テレビを見せないことは親にとって苦行である。親が子どもにテレビを見せる一番の理由は、楽だからだ。特に子どもが小さい場合は、テレビ中は子どもが親にまとわりつかなくなるので、家事なり休息なりがはかどる。テレビを見せなければ、大げさに言えば常に子どもの相手をしなければならず、かなりしんどい。

冬の日曜の朝。午前中が何となくテレビで終われば、ゆっくりできるかもしれない。しかし、テレビをつけなければ、10時頃には家の中だけでは手詰まりになり、子どもを外に連れだす圧力にさらされる。子どもは真冬でも寒さを感じないらしく、雪や雨でもない限り、朝っぱから公園に行きたがるものである。そこで、やむなく公園に子どもを連れ出す。しかし、子どもは、親の計画通りには育たないのであろう(ある程度はその方がよいし)。と思うと、こういう努力は10年後、20年後に報われるのか否か。。。まあ、報われると信じよう。

ちなみに、妻は、自分よりも子どもといる時間が長いし、炊事などもあるので、たまにテレビをつける。それもやめようというスパルタな話ではないです。それに、プリキュアを楽しみにしてるなら、たまには見て良いというスタンスです。ただし、自分のいない時に。