2010年7月16日

電脳とお友達

コンピュータは苦手だ。

  • 大学1年生で受けた授業では、フロッピーディスクドライブに2枚ディスクを入れようとして壊しそうになった。故意ではない。

  • 当時はインターネットが遅く、逐一ページが現れるのを待たされる。待つのは嫌いです。

  • 大学の演習室。周りを見渡せばマニア、マニア、マニア。男、男、男。爽やかでない。夏の日の冷房以外、演習室にいい思い出はない。

  • 学生気質を発揮して、わからないことは本やネットで調べようとした。しかし、専門語の羅列で吐き気がし、わからない。近くの人に聞いても、わからないか、ちゃんと教えてくれないことが多い。

  • 情報処理の授業。先生が黒板に

    「x=x+1;」と書く。

    「こいつ、馬鹿か? x を両辺から引けば 0 = 1?ありえない」

    1ヶ月後、馬鹿は自分だと知る(x=x+1; は、プログラミングで、x という変数に x+1 を代入するという意味)。この授業を教えた先生は、現在、東大総長と直接やりとりする身分の教授である。近くにいらっしゃってよく会い、会う度に恥ずかしい。

以上から想像されるように、私の情報系の授業の成績は何だか悪い。いや、授業の成績などよりも、コンピュータが苦手なまま学年を重ねてしまったことが問題だ。

とはいえ、大学院に入ってからは、必要上、いやおうなしにプログラムを書いて走らせる。コンピュータから出てきた結果をもとに論文を書くのが仕事なのだ。よって、最低限のプログラムはできるようになる。メールや、ワードでの書類作成、パワポでの発表も仕事上欠かせない。これらも人並みにできるようになり、苦手意識は消える。

しかし、仕事関係の周囲の人たちよりは格段に下手である。周囲のレベルが高すぎる?しかし、文系の友達と話しても勝率 5 割に届かないので、周囲のせいではないようだ。劣等感はないけど。ただ、嫌い意識は変わらない。逃げ回りたい理由があるのだ。

  • そもそも、目が疲れる。

  • マニアック。そして、本やマニュアルやネット上に転がっている情報は、大抵わかりにくい。何かの設定方法を調べていて10分以内に解決できないと腹がたってくる。

    何故こんなわかりにくい文章を書くのだろう?

    誰に向けて書いてるのだろう?

    ゴミ情報が多すぎ!

    など、色々な思いがよぎる。情報の洪水ということかもしれない。あんたも努力しなさい、という声が聞こえてきそうである。しかし、できない。自分の価値観から著しく逸脱しているのである。

  • コンピュータ好きという人種に溶け込めない。最近は変わってきたが、典型的には、人よりもコンピュータの方が好き、専門語を用いて会話する、自分が話しかけても画面から目を話さずに答える、など。友達になれない...

  • 使いにくく、商業主義にだまされてる感じがする。ウインドウズはバージョンアップする度に使いにくくなり、多数の不必要なソフトウェアが最初からインストールされてたり、操作にいらいら感を感じたり。ユーザーの使い勝手はどこに?またまた色々な思いがよぎる。

  • 待たされる。ウインドウズの立ち上がりが遅い(自分が、持ち運びを重視して、小さ目のラップトップにしたせいかもしれない)。シャットダウンにも1分以上待つ(おかしい!)。ソフトのインストールにも待たされ、サポートの電話はつながらない。検索も遅い。待つのは嫌いです。

文句を並べるのは簡単。その分の恩恵を受けている。でも、恩恵の分だけ我慢しろと言われると逃走してしまう。複雑ネットワーク(インターネットも含む)の研究者なのにとか、「情報理工学系研究科」の教員なのにとか小言を言われたとしても、逃走するに限る。

そのような私に最適な救世主が現れたようだ。 マックとグーグルである。

マックはいくつかの機種があるが、ここでは、最近街中でも見かける薄いラップトップ (MacBook Air) を指す。グーグルは、検索や無料の gmail で有名である。それらの機能の詳細については、それこそ、ウェブや書籍上に大量の情報があるので、ここでは語らない。

マックや gmail については、仕事上の友達からしばしば勧められていた。そこで、一大決心!2010 年 5 月に、15 年使ってきたウインドウズやふつーのメールを捨てて、マックと gmail に乗り換えた。

その結果...実にいい。

操作がわかりやすい。マックはユーザー本意。人が使ったときにどう感じるか、どのように仕事が効率化されるか、といったことが考えられていて逐一感心する。速さも自分の基準では満足。立ち上がりも消すのも一瞬。無駄なソフトもなく、スタイルもよく、あからさまな商業主義を感じさせない。デザインの斬新さや、ちょこちょこどうでもいい新製品を出したりしない方針などにも、その性格が現れている。会社の方針に共感できるのかもしれない。空港でどこかのウインドウズマシンを開いても嬉しくないが MacBook Air を開くのは少し嬉しいことを、この文章を空港で書いていて発見した。マックは私のように感じる客層も意識しているはずだ。

gmail や他のグーグルの道具も、ユーザー本意の心地よさを感じさせてくれる。グーグルは個人の利用統計を集めて利用しているということで、個人情報保護の観点から避ける人もいるが、自分は気にならない。大いに観察したまへ。

ひとつひとつの感心については技術的なので書かない。ともあれ、こうして、コンピュータを好きになれそうになってきた。細かな設定や、マニアックな追加機能の話を好きになるという意味ではない。むしろ、細かな効率化を通じて、自分がコンピュータに接する時間は減りそうである。それを可能にしてくれるツールは、私のライフスタイルの一員として歓迎である。

こうしてデジタル文化と少し仲良くなったのでした。