2015年9月24日

イギリスの小学校(その2)

たった3ヶ月前に書いたポスト「イギリスの小学校」と重複がありますが、第二弾です。

海外に出ると日本の良さが分かる、というのは本当である。
最近の日本の小学校についてはよく知らないが、日本の小学校教育は次の点でイギリスよりも優れているように思う。

カリキュラムが国レベルで統一されていて、大体守られている。イギリスでは、学校ごとの裁量に任されている。教科書もない。なので、単元 A を卒業までに習わない小学校(教科書のそのページまでたどりつけなかったからではなくて)と、単元 A を習う小学校が混在する。少なくとも国語と算数(特に算数)については、国レベルのカリキュラムがあって、参考教材もある程度の選択肢をもって体系的に提供されているとよいように感じる。

このことと関係して、日本の教育は、繰り返しごとを身につけるのには強い。自分が住んでいる地域のことしか知らないが、イギリスの教育は、同じことを何度も繰り返してやっと身につく有用な知識・技術をつけさせることは、苦手と見える。先生がそういう計画を立てることはあるが、色々な理由で途中で頓挫してしまう。最初に立てる計画も、日本ほど周到ではない。その結果、引き算や九九ができない大人は多いようだ。日本の高校数学はとても難しく、また、つまらなく、あれがなぜ必修科目なのかよく分からない。しかし、2, 3 桁の足し算引き算、九九は人生に役立つ。有名な逸話だが、簡単なお釣りの計算をできない店員が多い、というのは本当である。

国語にしても、もし中国語や日本語のように大量の文字(=漢字)を覚える必要がある言語だったら、イギリスはどうなるのだろうと思った。英語でも、山のようにたくさん単語はある。小学校卒業時点ではどれくらいの語彙力、綴り力がつくのだろうか。とはいえ、イギリスの平均的な成人は、自分よりは遥かに多くの単語を知ってるわけだよね。うーむ、わからん。

逆に、イギリスの小学校が日本より強いことは何だろう?

先生が自信を持ってやっている。
少なくとも、親にはそのように見える。
No を No と言える文化であることが大きく関係しているように思う。

個々の児童を見る。「他人と比べて」、「平均と比べて」という話題は、親と先生との個人面談でも出ない。
また、英語が母国語でない児童(=私の娘)に対して、一対一で英語の訓練をするための人員を割いてくれたりする。娘は、その時間帯だけ、クラスから抜けだして他の部屋で一対一のレッスンをする(羨ましい!)。誰それだけ特別扱いだ、とかいう風にはならない。

子どもにとって楽しいイベントが多い。
特に、パーティ的なものが多い。
日本は、事故、違反、少数の親からのクレームなど「何か起こってしまったらどうしよう」という論理で学校教育が組み立てられていて、この辺が年々難しくなっているように見受ける。外からの想像ですが。どうでしょう?

例えば算数や英語で、クラスの中で習熟度別にグループを分ける。
そのことが特に軋轢にはならない。
平均より下のグループだからどうこう、という思考回路でないからうまく行っている?

コンピューター、人前でのプレゼンテーション、お金の計算、性教育など、実用的なことをやる。

一言で言えば、良くも悪くもイギリスの方が日本よりも全体的に緩い。とはいえ、マナーや、人生の中で大事なことは日本に近いレベルでしつけてくれている(ように見える)。

自分の子どもが通う小学校の先生たちは、とても良い。なので、増田家の方針は、小学校を全面的に信頼しつつ、反復練習が必要な項目は公文・英語のドリル・本などで補強するということである。小学校低学年の勉強時間が増えるのは、自分も好みでないのだが。1日1時間を超えないように。また、毎日の習慣化してしまうように。
これで万全。。。

じゃない! 日本もイギリスも、小学校教育で欠けてると感じることがある。
それは「野生」。
「かわいい子には旅をさせよ」が両国ともとても足りない。
イギリスでは、子どもの権利が日本よりとても強い。その長所はあるが、甘やかしが多いとは感じる。端的に言えば、男女関わらず、小学校 1, 2 年生くらいになっても「ママー、ママー」と言ってるような感じの子が多い(ちょっと誇張)。
翻って日本を見ると、「ママー」は聞かない。しかし、我が子が平均値周辺から外に出過ぎてはいけない、無難なのが良い、という価値観が支配して野生が磨かれないのは、想像に難くない。

子どもが成人する15〜20年後には、日本、イギリス両国とも国際的な競争力や活力が今より落ちるかもしれない。その分、他の元気な国が台頭してくる。元気な国の中には、若者人口が多いことや天然資源に頼って元気である国もあるだろうが、野生が人材を生み出し、人材が価値を生み出してくる国もあるだろう。
自律というか、挑戦というか、冒険というか、かわいい小学生にも色々な旅をさせたいものだ。