2021年9月1日

やっとご教授

2021年9月付けで准教授から教授に昇進した。

私の気持ちは、「長かった。。。」の一言である。

私は32歳で准教授になった。
これは日本では速い方だ。
欧米では、そもそも准教授の意味が日本と違うが(それについては拙著「海外で研究者になる」も参考になるかと思います)、32歳で准教授になるのは速い方だ。

ところが、そこから13年かかった。13年!

日本の大学では、13年かそれ以上准教授をやってから教授に昇進することは、それほど珍しくない。
その理由の一つは、(ここ数年の動きはよく知らないが)日本の国立大学では他国にほぼ例をみない教授定員制が敷かれていることである。
例えばある学科の教授の定数が10であるとする。
このとき、一人の教授が引退したり他の大学に異動しない限り、新しい教授を1人外から採用したり、中にすでにいる准教授を昇進で教授にしたり、といったことができないのだ。

「13年で長いとは何とぜいたくな!」と思われるかもしれない。
しかし、私の日本にいた頃からの友人・知人を見ていると、かなりの割合の人が、私よりも若い年齢でどんどん一流大学の教授になった。
30代で旧帝大の教授になった友人・知人が多くいる。
40代前半まで数えるともっといる。
肌感覚的には、実力がある人のそういう早い昇進は、昔より多く起こっている気がする。

人は人、と思いたいけど、さすがに、これはプレッシャーになった。

海外でも、同様のプレッシャーを感じた。

海外では、教授の定数がないことが普通だ。
したがって、准教授になってから教授になるまでの年数は、統計をとったわけではないが、欧米の方が日本よりも短いように感じる。
准教授になって5年かあるいはそれ以下で教授に昇進していく人をたくさん見た。

准教授のまま生涯昇進しないことは、欧米では日本よりも多いと思うので、教授に早く昇進する、というのは、教授に昇進した人に限定すると、という意味です。

私は東大で准教授を5年半やって、イギリス・ブリストルで准教授相当を5年半やって、アメリカ・バッファローで准教授を2年やって、昇進した。
長かった。

教授は肩書に過ぎない、という人もいる。
また、教授は准教授よりも諸業務が多い、というのは本当だ。海外でも、程度こそ違えどそうだ。
なので、教授になりたくない、教授になるのをあえて避ける、という人もいて、それは一つの選択だ。
私にとっては、教授になってそれ相応の責任なり期待なりを背負ってやっていくことは、むしろ仕事人生の重要な目標の一つであった。
教授じゃないとできない、やりにくいことがいくつもある。
40歳頃からそう思っていて、したがって、40歳頃から教授に成れない感がくすぶっていた。

なかなか昇進できなかった理由は2つあると考える。

理由1:日本を出たこと。実は、ありがたいこととして、日本のいくつかの強い大学から、「うちで教授になる興味はありますか」というお誘いを頂いていた。一番早くは36歳でそういう話を頂いた。しかし、その頃はもう海外に挑戦すると決めていたので、失礼ながらもお断りさせて頂いたのだった。

理由2:イギリスで競争的研究費が取れなかったこと。私がいたブリストル大学や私のいた学科に限ったことではないが、多くの大学や学科で、外部研究費を獲得することが、昇進への至上命題である。日本と同様に、応募書類を書いて競争的研究費の獲得を目指すのだが、これの敷居がとても高かった。私には高すぎた。 イギリスでは、自分の研究分野が属する「複雑系」という分野について、国からの研究費が減らされることが2016年に決定された、という事件もあった。 また、アメリカと比べると、イギリスでは正しい人脈に属していないと研究費を取りにくいと感じる。

負け犬の私がこう言うのは、単なるひがみかもしれない。ただ、以下のような観察もある。

  • 私より少し若い、ブリストル近隣の大学にいた共同研究者が、彼の学科のリーダー達に研究費獲得のコツを聞いた。いの一番に言われたのは、「どこかの『グループ』に入っていない限り、一人で出しても取れないから。」
  • 私は、アメリカに来て、アメリカの企業の研究費(これも競争的)と国の研究費が1.5年で合計1つずつとれてしまった。幸運もあったが、イギリスのときの苦労は何だったんだろう。
  • イギリスで研究費が取れなかったのは自分だけではなく、自分より凄腕の同分野の研究者たちもおしなべて苦労していた。それは、先に述べたように「複雑系」研究分野への投資が減ったことと関係しているかもしれない。研究費が取れていない人が多くて、研究業績がすごくて人柄も素晴らしい割に昇進が極端に遅かったり、昇進できなかったり、ということを見てきた。

    いっぽう、異なる分野間で比べることはできないが、AI、ロボティクスといった人気分野では相対的に競争的研究費を獲得しやすい。したがって、そういう分野にいる人は、自分が観察している限り、昇進が早い傾向があった。 裏を返せば、これこれ分野の研究者は、イギリスの大学に就職することによって伸びしろが期待できる、と言えるかもしれない。

さて、イギリスからアメリカに私が異動した原因として、経済的に難しかったことを以前のブログで書いた。
それに加えて、イギリスでは教授に昇進できる見込みがないと思ったのも、異動したかった一因である。
教授になると給料はある程度上がるので、この2つの要因は関係してはいる。
しかし、それだけの関係ではない。
教授になるためには、研究費を獲得しなければならない。
そして、研究費が獲得できるかどうかは、自分の実力だけではなくて、その国に総額でどれくらいの研究費があるか? 自分の研究分野にどれだけの研究費が配分されるか? にも依存し、結局は国全体の経済状況にも依存する。 そういうことが厳しい状況でも、本当に強い研究者はそれでも研究費を獲得することができる。
なので、自分の実力のなさが原因である、という理解に落ち着くことは、むしろ簡単にできる。
しかし、私はそう納得してしまうのは得策ではないと考えた。
「ああ、イギリスだと研究費が少ないから(仮にそれが事実だとして)最近は教授になるのが難しいよね」という同情を得たとしても、その論理が通るのはイギリス国内のみである。
他国を見れば、そんなことお構いなしに、どんどん研究費の配分や昇進が起こる。

根が同じ問題に、イギリスでは、少なくとも私の部署では博士課程学生を採ることが金銭的に難しかった、という事情があった。
博士課程学生を何人育てたか、は、昇進審査でもそれなりに重要視される。研究者の履歴書の中で、国際的にはそれなりに重要な項目だ(日本ではさほど気にされないかもしれないが)。
博士課程の学生の数も、例えば大学に博士課程学生を雇う(はい、日本以外の国では、基本的に雇用です)財政的体力があるか? 自分が研究費を獲得して自力で博士課程学生を雇うことができるか? の2つに依存してくる。
イギリスだと、博士課程の学生を雇う競争的資金については、グループで応募するものが圧倒的に多い。
したがって、自分が学内でどのグループに入れるのか、周りの人が強くて頼りになるか、自分の研究分野で学内グループを作ったときに国がお金をくれそうか、といった要因にも依存する。

博士課程学生は研究作業をしてくれるので、博士課程学生がいなければ、自分の研究が進むことも難しい。
すると、自分の履歴書はやせ細り、自分の研究出力もやせ細る。
そうなれば、研究費を獲得することもさらに難しくなる。
負のスパイラルである。

アメリカに頑張って異動したことは、結果的に成功だった。
2年で教授にしてもらえたし、研究費もとれたし、指導している博士課程学生は8人もいて、その質にも特に不満はない。
アメリカの大学が向いている人とイギリスの大学が向いている人がいる、ということだろう。