2015年10月2日

美しく写る富士山を探す研究

富士山は、静岡県側と山梨県側のどっちから美しく見えるか?
大学・研究所の研究仕事も、しばしば、山がきれいに写る角度を探す作業である。

出てきた研究成果が富士山ならば、誰も文句を言うまい。
どこから見ても富士山は富士山だ。
こんな研究を日々目指す。

ただし、富士山級は簡単には生み出せない。
そして、富士山狙いが良い研究姿勢とは限らず、以下の2つの戦略がある。

戦略その1

山のない地域に、小さ目でもいいので山を立てる。
そうすると、人々は「おや、こんな所にも山があるのか」と思って注目し始める。
この地域は、今まであまり研究の手が行き届いていなかったので、そもそも山が立つのか、山をどう作っていけばいいのか、山の植生はどうなるのか、などの知識がなかった。
そういう地域に山を立てて第一号になり、後続を導くのである。
研究は、一番目にやることが大事だ。
すると、質はそこそこの論文でも、始祖として歴史に刻まれる。
ビジネスで言うブルーオーシャン。

一方、大きい山がすでにたくさんある所に同じような大きさの山を立てても、目立たないかもしれない。
日本アルプスには3000メートル級の山が約20峰ある。
でも、名前を知ってる山がどれだけありますか?
ヒマラヤには8000メートル級の山が14峰ある。
でも、エベレスト以外を知っている人は少ない。

ただし、山のない所にとにかく山を立てればいい、というわけではない。次のような山は失格である。

(1) 無人島に立てた山。誰も来れない。
→ どこかの分野には結びついた論文を書かないと、さすがに誰も見てくれない。

(2) 50メートルの山。山なんだか坂なんだか分からない。
→ 質が悪すぎてはいけない。

(3) 500メートル級だが醜い山。ゴミ山だったり、コンクリートでできていたり。
→ 研究結果としての到達点は合格点でも、論文として構成がまずすぎたり、判読不能な英語や論理展開で書かれていたりしてはいけない。

戦略その2

先日、ある作業結果について、どういう風に論文にしようか、あるいは論文にするのをやめて撤退しようか、について悶々としていた。
そして、「ああ、こういう色付けをすればいいんだ」と気づいた。
これは、山を見る角度を探す研究態度である。

山はとりあえず作った。
これ以上大きくするのは困難なので、とりあえずやらない。
ただ、どこから見ると一番眺望が良いかを、ものすごく真剣に検討する。
すると、何も内容は変わっていないのに、最初はつまらなく見えたものが面白く見え始めることがある。
「よし、その路線で行こう」と決めたら、次にやることは、「正面は(実は)こっちですよ」と言って、交通を誘致し、展望台を設けて、観光客を導くことである。

「そんな小手先に時間をかけるなら、新しい研究にとりかかれ」と言う人もいるだろう。
ところが、角度を見つけてあげることによって生き返る研究は、結構ある。

他の地域から観光客を連れて来ることも、同様の効果を発揮する。
特に、他の地域から来た人は、地元の人とは違う方向から山を眺めたいと思うかもしれない。
彼らは土地に不案内なので、観光バス・電車がスムーズに運行されること、交通標識や誘導が分かりやすいこと、売り込みたい眺望が拝める場所に観光ホテルを建てること、は概して有効である。

富士山ならば、眺望について考えずとも、断トツに高いから人が集まる。
しかも、周りに高い山がない。
鬼に金棒。「すげえ研究」だ。
なんやかんや言って、やっぱり目指すは富士山。