2001年4月30日

ばいりんがるへの道

も含まれる。

「語学は若いうち」には 2 つの意味がある。1 つは若い方が覚えと慣れが速いという生物的な意味。そして、もう 1 つ大切なことは生活サイクルの違い。

日本でも、社会人は「学生のノリについていけん」とぼやく。若いほど、他人と交流する欲求とパワーがあり、かけられる時間が長い。これと同じことが、留学生活中も言える。学部生の留学生は、どの国の人も、よく学びよく遊ぶ。周りもそうなので、パーティとかイベントとか恋愛とか楽しいことが周辺にたくさん起こる。そして、大学院生や社会人よりは自由時間が多くある。国は関係なしに、大学生の頃って自分を見つけていく大きなプロセスで他人との相互作用が鍵らしい。深い友達関係も起こりやすい。

年があがると、仕事や生活保持にあてる時間が多くなる。また、人間関係はもうだいたい完成してて多くの新しさは求めず、自分の道を行く。もし自分はそうでなくまだまだ好奇心と活動力にあふれてても、相手がそうなる。それは自然なことで各人が成長してる証拠だけど、語学を学ぶには辛い。環境に恵まれたり、自分で切り開いたりして、英語力とすてきな人間関係の両方につながる生活を築けることもあるけど、若いときよりはるかに大変。体力と気力が自分と相手の両方に必要なのだ。

年齢を越えた交流も大切だけど、年齢差も抜きにはできない。年が離れてると、どっちかが構えちゃったり、共通の話題を見つけかったりする。自分(ますだ なおき) を含む理系の大学院生は因果なもの。勉強・研究のために独りの世界で過ごす時間がとても長い。ビジネス系の院生とかはグループ・プロジェクトとか多くてうらやましい。それでも、英語は至上目的なので、勉強減らしてでも「音のある生活」を心がけてる。会話のある所に出かけたり、映画を含めて色々な人の英語を聞いたり。

アクセントはネイティブでも色々あって、色々な声にふれると聞きわけのバラエティが増える。また、いつも話す相手は音・口癖・会話パターンに慣れてくることによって理解しやすくなる。自分自身も話してるうちに徐々に口が動いてきて気持ちもよくなってもっと話せる。良くなるほど良くなって悪くなるほど悪くなる仕組みらしい。

そして、みんな言う。英語を伸ばす黄金の方法は 「(英語の)恋人をつくること」。一緒にいる時間の長さ。相手を知りたい知られたいという欲求も大きな動機になる。文化や相手を知るほど、よくわかるようになって楽しく自信を持って英語を話せる。何でも質問できるし。友達たくさんいると伸びるのも仕組みは同じ。そのうち他の人の英語もわかるようになってくる。

だからこそ、英語を学びたかったら早いうちに留学や旅行や海外ボランティアなどで生の英語に触れることをおすすめする。

(2) 姿勢


英語がわからないと話しかけるきっかけがつかみにくい。勇気は確かに大切だけど、それだけでは続かない。そして、英語がわかると人に話しかけられて話が続きやすいし、わかるほど友達も増えて、さらに周りの人にも認識されて話す機会も増える。その逆もしかり。一度話せない話さないトンネルにはまると、独特の強いキャラか大きな努力がない限り、抜け出るのが大変。

「交流重視」などの重要性を話したけど、もしAさんとBさんが同じだけのチャンスを持ってても、上達スピードは異なる。機会を生かすための基本は強い姿勢で話しかけること。はきはきと失敗を怖れないで話す。失敗はしても OK だけど、明るく堂々とふるまうことが大切。はっきりいって、本来は誰もが無理して明るくふるまう必要なんてないと思う。マイペースは大切。でも、語学にとっては楽しい人や押しのある人であること、そうなろうと努力すること、最初のうちはそう見せかけることさえ助けになる。相手はその方が聞いてくれる。ちなみに、俺は酒を飲んだ方が好調。一見矛盾っぽいけど、主張をしたくなる。間違いを怖れない。気分も体もノッてきて口が動く。

そして自分に自信を持つこと。多くの日本人は、アジア人相手だと発音の聞きとりやすさ以上に安心を感じる。そしてそういう場面では、自信を持ってはきはき話してる。同じ内容をネイティブのアメリカ人に話すときより多分うまく話せてる。それくらい自信って大切。自信をつける方法はいくらでもある。例えば、自分から先に発言して会話のペースを持ってきた方がわかりやすい。相手が自分に注意を向けてるときは、わかろうという姿勢に入ってるし話題もしぼられてるのでよくわかる。初心者だからこそ話しかけよう。笑顔で大きい声で!

偉そうなこと書いといて、俺はこれが苦手。日本でも初対面が苦手で、ある程度友達になるとその先は深くなりやすい、という性格。自分の場合、不安の根源は俺が文法や単語の細かい間違いを気にする人だから、相手もそうではないか?と思いこんでたこと。でもよく考えてみると、みんながみんな俺のようにミスに神経とがらせてて初回はとっつきにくかったら怖い社会だ!実はアメリカ人はもっと寛大かも(実際そう)、テキトーかも、フレンドリーかも。「他人にこれこれ思われるから嫌だ」という考えは、無用な心配であると同時に、自分の枠でまだ知らない相手の性格を決めつけてて失礼でもある。ということにして、失敗やネイティブがこわくても、話す状況である限り目をみてはきはき話す努力中。これは、あと少しの滞在で一番克服したいこと。

次に、何を語れる人かが大切。音楽・授業・恋愛・テレビ・旅行・スポーツ。守備範囲が広ければ相手と共通の話題をもちやすいし、守備範囲が深ければ深く自分が出せる、というのは日本語でも同じだよね。最初の学期でとったスピーチのクラスで何か大まかなスピーチのテーマが与えられたとき、英語力だけでなく、どうテーマを広げるか、どんな意見を持ってるのか、ユーモアが出せるか、楽しい魅力的な人であるか、など人間そのものが試された。授業から日常会話まで全て努力や勝負だったら息がつまってしまうけど、パーティも合コンも同じ!話やキャラの面白い人のところに人は集まる。人間としての魅力が語学の上達と関係してる。自分の生き方を見つけて自信を持つこと。友達ができるプロセスともとても似てる。

そして好奇心は頭を活性化させる。話したい欲。読みたい欲。書きたい欲。何かを知りたい欲。友達になりたい欲。遊びたい欲。そういうのって、英語の授業の中よりは、旅行のときや自分で集めてきた情報や留学先での日常生活の中にころがってる。

語学とは気まぐれなもので、完璧主義でもいけない。失敗をおそれず堂々としてても「正しいことを正しく話そう」と思ってしまうと、保守的な語りになって内容的にも英語表現的にも「常識」の枠内のことしか言えない。相手によっては下手な英語や杓子定規な語りを嫌がるけど、そこまで厳しいヤツはあまりいない。あまりに集中しすぎると、力の入りすぎ緊張しすぎにもとられる。わからない表現を調べる・英語にだわるなどの細やかな努力は大切だけど、会話も行動も大雑破にやってみて、状況や相手の大雑把なイメージをつかんで大雑把に反応したり行動したりできることも大切。

さらには、言葉は完璧な意志伝達の道具ではない。アメリカ人同士が英語で話してても、お互いのしゃべってる事を 100% 理解してるとは限らない。文化や価値観が違ったり、内輪ノリだったりして、追いつくのに時間がかかったり時間をかけてもわからないこともある。日本の女子高生語の会話を 50 才のサラリーマンがわかるだろうか?むやみに完全な理解を極めようとするのは損。

(3) わかるとき・わからないとき

英語がわかるようになっていくプロセスは人それぞれだけど、マイケースを勝手に紹介。

最初のうちは、全くわからなかった。2, 3 ヶ月たつと、細かいことは相変わらずわからないけど、状況判断でだいたい正しい反応ができるようになる。アメリカ英語がわかるという事は、言葉以外のアメリカ方式・文化をわかることも必要だ。もう少したつと、人々が早口でくっちゃべってることが徐々にわかってくるようになる。実は you know, like, I mean (どれも間投詞。「ね」「えっと」「ってかんじー」)を連発してるとわかる。こういうどうでもいい言葉が初心者の理解を妨げるんだけど、会話をやわらかくする道具だし、間投詞なしで日本語早口で話せる日本人もあんまいないしね。今でも英語はよくわからんけど、文脈からそれなりに推測できる。100% わからなくても「内容」は全部とれる。もし、50% の理解でも意味の通った反応につながれば相手とコミュニケーションに入れる。自分の趣味や専門のまわりだけ得意ってのも最初はいい。それも仲良しのきっかけ。

分野と言えばTVを見てみよう。ニュースはわかりやすくお笑い番組はわかりにくい。ニュースには構成があるし、解説者は一般人より整った英語を使う。お笑い番組はスラングもたくさん。アメリカン・ジョークもわけがわからない。わけわかっても笑えないことしばしば....授業はわかりやすく、芸能関係はわかりにくいのも同じ理由。理系の授業なんて難しいこと言ってても語彙が限定されてる。わかるときは英語でもわかるし、わからないときは日本語でもわからん。

会話の状況は例えば 3 つにわけられる。(A) 相手が自分に話しかけてくる、(B) 他人同士が意志をもって話してるとき。(C) 他愛もない何となくの会話や悪ふざけのとき。(C) が一番難しい。

何ごとも段階だけど、ジョーク・芸能ネタ・悪ふざけ・超軽い話題など一番わかりにくい所にこそ、その国の文化を知ったり相手を知って一緒に盛り上がったりする鍵が含まれる。笑いは人間の基本。

雑音のある状況ほど大切ってこともいえる。うるさい所は盛り上がって、やっぱうるさい。パーティから雑音は切り離せない。他人の会話、音楽、笑い声。日本の飲み屋もそうだ。そういう会話を聞きとりにくい喧騒の場でこそ会話が求められる。最初は雑音のないニュースや音読テープを聞いて聴解を練習するわけだけど、きれいな状況から抜け出てさらなるステップアップが必要。

(4) 日本の英語教育

日本のすてきな所はたくさんあるし、大切な友達がたくさんいるので、アメリカ来たからといって「日本はダメだ。アメリカはよい」とは思ってない。でも、日本の英語教育はヤバい。

日本人のほとんどは、中・高・あるいは大学でも、最低 6 年は成績や受験や就職など主に他人との比較で上にいくために英語をやらざるをえない。実用的な勉強じゃないから実践で役に立たない、とよく言われる。その通りなんだけど、どう実用的でないか、変えるのがどうして難しいのか (改革の気力のない人が多いという理由以外に) 、どうすべきか、を見つけるのは案外難しい。

英語教育は主に受験に最適化してる。会話でも文章でも使われない表現をたくさん記憶しないとならない。穴埋めや並びかえなど役にたたない技術の修得のために頭の柔らかく吸収力の高い世代が膨大な時間をかける。もちろん、覚えなければならないことはインパクトも薄いし、テストでいい点をとる以外の動機も低いし、実用的じゃないから、覚えにくく忘れやすい。

例を挙げればきりがないけど、いくつか。

(1) compare with と compare to。ネイティブは大抵「違いはない」という。現在は知らんが、俺の頃はこの知識はハイレベルだけど受験では要チェックで compare with は「比較する」、compare to は「喩える」と習った。ネイティブが区別しない区別を覚えるのは無意味だしむしろ誤りでは?言葉は生きてて進化する。

(2) historic と historical の 2 つは意味が違う。レベルが上がれば、いずれはちゃんと使いわけできるべきだろう。でも、こんな難しいことを覚える前に中 3 までの単語と文法で絵本が読んだり道案内をする練習をした方がいい。"historic" がでてきて会話ではたと止まってしまうよりは、間違えた方を選んでも話を続けた方がよい。正確さを少しだけ犠牲にして「流暢さ」を練習できる。一語の間違いを気にする人はあまりいないし、相手が気づいて直してくれるかもしれない。自分で後で調べることもできる。間違いを悪いこととする日本式では「使う前に調べなさい」 ということになるけど、片手落ちのやり方だ。言葉の学び方としては間違ってる。

(3) "The reason is because ... " という言い回しを良く聞く。俺の頃 (X年前) は受験英語では is 以下は名詞節 (that節など) だから because (副詞節) はダメ、というわけでバツにされた。今もそう? くだけた表現であることは確かだが、そこまでこだわって誰が嬉しいんだろう? もちろんある程度の文法の基礎は必要だが、このマニアックさは何だろう。

(4) 難しい大学を受ける人は

"Hardly (または Scarcely) A before (または when) B." (A するやいなや B)

という慣用句が必修である。でも、英語の本や新聞でも見たことがないし、日常会話で使ったら、多分「は?なに?」「こいつの言うことはわけわからん」と思われるでしょう。その一方、よく出てくる wiery, you know, scary, figure out などは日本の英語教育では重要度が低い。俺は語彙は十分と思ってこっち来たけど、まだまだ足りない。語彙はあればあるほどよく、生きるための語彙は受験英語とつぼが違う。

バランスの悪い教え方の結果、日本人の多くが会話アレルギーである。アンバランスのもう 1 つの結果は「センス」。中 2 までの内容なのに

From tomorrow, I will go to the workcamp.

と聞いて違和感を持つ日本人は少ない。本にしろ会話にしろ生きた英語にさらされる機会がすごく少ない証拠である。実はヨーロッパ人は、それほどたくさん英語にさらされてなくても、多分上のようなミスはしない。それは、彼らの言葉が英語に近いからである。ただでさえハンディを負う日本人は工夫が必要。さらにハンディを深めるような教え方をしてもしょーがない。

この章は批判に走ってます。和訳も曲者。きちんとした日本語訳が欲しいのはテストを出す人・翻訳者・通訳くらいだ。本来は生徒が内容を理解してるかどうかをテストしたいはずだ。でも、複雑な和訳問題では、思考錯誤して、関係詞 (which や who) の係り方を解析し、語順をあれこれ入れかえて、日本語と英語の逐一な対応を確認する。これは数学や理科の学習法としては正しいが、語学の学習法としては間違ってる。関係詞を1つ失念しても「内容」は 100% わかる。語学が読・書・話・聞のどれかである以上、読み書きなら 15 秒のうちに、聞く話すなら 3 秒のうちに出てくるかが勝負である。

和訳は日本語力もやけにたくさん必要だ。日本人で、日本語がイマイチでも英語はできる生徒もいる。なぜわざわざ日本語に訳させるんだろう?英語が得意で国語が苦手な子の能力を殺すことになる。それに、日本語にない概念や日本語の二つの単語の中間を表す英単語がたくさんあるので、和訳自体が意味をねじ曲げてしまうことも多い。「訳」は往々にして大きな誤解を招く。

英訳も同じ。たいていの場合、英語で伝えたいのは日本文ではなく何かの概念である。興味もない代物を読まされて、静的に和訳 or 英訳するよりは

「ねえねえ聞いて、昨日コクって今日オッケーされたの。キャー」

という出来事を訳す方がやる気まんまんである。これを外人の友達か学校の英語のクラスに伝えるために、あくせく考える方がよほどいい。「告白」「彼女 or 彼氏」「昨日」「今日」「うれしい」という情報は何語でもなく、事実と感情である。

たとえ日本語の新聞の内容を外国人に伝えるにしても、記事が手元にあるからといって「英訳」するだろうか?多分、記事の内容を大ざっぱに理解してて、そこから伝えたい内容を頭に思い浮かべて英語を考えて発するんじゃないだろうか?読んだのに頭から抜けてしまったことを参照するためにちょこっと記事を見るだけだ。そして、自分で言葉を足したり感想を加えて相手に伝える。

さいごに、一番大切な耳を通した相互作用がほとんどない。耳の助けを借りないので、1 つの言葉を覚えるのにも紙の上でたくさんの時間を費すことになる。これは、多くの人が知ってることで、ホントに英語を話せる日本人は大学くらいから自分で方法を見つけて耳を使って勉強してる。旅行・ネイティブの教える会話学校・留学。ただ、前にも書いたように、一番伸びるのはもっと若いとき=中・高教育の段階だ。

受験英語に長い時間を費して何か他のモノを失ったから、自信を持って言える。学校英語は役にたたない。気づかずに勉強してる中・高生は犠牲者だ。

ちなみに、多くの英語教師が英語を話せない。これはアジアに限らず多くの国に共通。日本島国だし仕方ない気もする。でも、多くの先生は生徒がホントに英語がうまくなる手助けすらできないかしてない。先生が話せないから生徒はもっと話せないのか?そんな事はない。若いうちに英語にいい角度でたくさんさらされるチャンスがあれば 16 や 18 才くらいでも先生より話せるようになるかもしれない。

大人の役割ってチャンスを提示してあげることだと思う。日本の英語の授業もそれでいい。もし変わりそうにないんだったら、学校英語の効果が「?」で熟練した先生も足りない以上、中学だけ必修にして、高校・大学はやりたい人だけやればいいとさえ思う。高校 3 年間の英語は、効率的に学習したときの半年〜1年にしか相当してない。英語を 3〜5 年学んでみて、できれば生の英語にも接してみて、さらにやりたかったら続ければよい。選ぶのは自分。

こんな事言ってると現役の先生から「現場も見ずに理想論言うなー」とたたかれそう。

反論承知で言うと、英語教師ってナカナカ因果な職に見える。もし先生の英語力が十分でも、生徒の英語力開発やそれに伴う生徒の幸せのためを本気で考えると、学校や日本の社会と対決せざるをえないから。35〜40 人授業も辛い。生徒を生の英語にもっとさらそう、と試みると、理解のある私立付属高や実験校でもない限り、試験への最適化を望む学校や親と対峙しなければならない。

色んな英語教師と接したけど、ホンモノを実践してる人は 1 人しか知らない。その人は英語ばりばりで生を知ってる。公立校で映画教材を使ったり、なんか生徒が笑うような面白い英語の授業やテストをしたりしてるらしい。ちゃんと語ってないので詳しくはわからんけど、教科書はあんま読まないと聞いたことがある。他の先生の視線はユーモアを交えてうまくそらしてるらしいが、体をはってると思う。上からのしばりや親の不平と向きあう勇気と実力がないとできない。

(5) アメリカのスペイン語教育

アメリカでスペイン語のクラスをとってます。ナンパのためという噂はおそらく嘘である。日本人にとっての英語とアメリカ人にとってのスペイン語は違うし、アメリカの大学と日本の中学・高校を対等には比べられない。でも、語学教育について見習うべきことがたくさんある。個人的には、英語の体験とスペイン語の体験の 2 つを比較できるのも面白い。

まず、使われる教育費が日本とは違うので、ネイティブの先生で少人数制を実現できる。会話のクラス 1 クラス 10 人くらいなので 1 人 1 人発言の機会がある。これでさえ慣れると多いと感じる。

「会話の授業では英語を使ってはならない」という校則(?)がある。だから説明も質問もスペイン語。これはいい。そして先生は、教科書の内容を細かく読みといたり、文法をいちいち説明したりはしない。代わりに「春休みはどうだった?」「これからやるゲームを説明します」「今日の宿題は...」などをスペイン語で話すので理解したくもなる。わからないと宿題ができないし。

授業の中でも外でも発言の機会・小テスト・宿題がたくさんあって、ちゃんとやれば実力となって帰ってくる。そして、勉強のさせ方がうまい。話したいことを言わせる、作文させる。問題も、「英訳せよ」「西訳せよ」「穴埋めせよ」ではない。スペイン語を話す時はスペイン語で考えさせられる。英語で作ってから西訳するのはやめるように言われる。そして会話や文章のスペイン語は英訳や和訳せずにスペイン語のまま理解しようとする。不都合は何もない。

出される問題は、短いダイアログを読んだりビデオ教材を見たりして


A「カルロスの意見に賛成か反対か?なんで?」

B「4 人の女性の中で一番魅力的なのは誰?なんで?」

C「今回のビデオでは一番 (1) 優しい人、(2) 魅力的な人、(3) バカな人、(4) 退屈な人は誰?」

D「過去の旅行について話せ」← 過去形の練習

E「卒業したら何をしますか」← 未来形の練習

など。意見を表そうとするのでやる気が出て頭も活性化される。文法の時間は比較的お固く、いかにも教科書っぽい練習問題も多いけど、それでも「比較級を使って、2 人でお互いの故郷を比べろ」とかもある。文法は繰り返して体にしみこませてくものだけど、会話や作文の中の繰り返しで体得する。

そして教材がとてもいい。教科書は食事・家族・旅行・病院・音楽などの章わけになってて、たくさんの生きた語彙、文化などが絵・写真つきで説明されてる。食べ物や料理の種類が、ラテン限定のものも含めて山のように出てくるけど、「仮定法過去完了」や「historic と historical の違い」よりは重要だと思いませんこと? novia (恋人)は生きるために一番重要な単語なので最初の 3〜5 週で出てくるでしょう。日本では girlfriend, thief, trash, actor, pear (梨), back (背中) など会話でよく出る言葉はずいぶん後で習う気がする。

教科書の説明や内容自体がスペイン語とラテン文化の教材である。文化を知りたいと思うとさらに楽しくなる。離婚・結婚って話題も大きく出てくる。ビデオ教材は探偵ドラマ。要約をスペイン語で書いて提出。心の汚い人もきれいな人も出てきて、キスもハグも浮気も疑惑も対決もあって面白い。NHKのTVの外国語講座もその点いい線いってると思う。授業中でも、上のA,B,Cのようなと質問が来て議論になる。日本だったらCの (3) と (4) は多分消される。そしてBの答に 「ラウラ。かわいくて胸がでかいから」と答えたら沈黙されるか怒られそう。ここがミソ。でも、Cの (3), (4) やBはむしろ本音でギャーギャー答えたい内容ではないだろうか?もちろん、アメリカでも、他人の気持ちを無視して自己主張しまくるのは感じ悪い。でも、他人を害せずして本音は出せる。本音で話して笑う授業がある。冗談や人間の汚さを隠した「きれいな」教材と「きれいな」説明と「きれいな」答は退屈で印象もうすい。

また、教科書の練習問題にちょこっと未出の内容がでてきたりする。生徒が会話や作文で未出の文法や単語を使っても「まだ出てきてないから使うな」とは言われない。日本では中 1 で will を知ってても使ってはいけない。中 2 で習うことになってて知らない人が損をするから、という奇妙な平均化をはかる。知ってるヤツには使わせとけばいい、という考え方はほとんどしない。あまりに厳密に中 2 の 1 学期はこの文法とこの単語、という風に教材や授業を構造化すると教育の効率がものすごく落ちる。

話かわるけど、日本人 (俺) はスペイン語の授業でアメリカ文化まで学べる。スペイン語が聞きとれてるのに授業がわからないことがよくある。他の人はスペイン語の内容に笑ってるのに何がギャグなのかわからない。アメリカ人の生徒間、あるいは生徒とアルゼンチン人の先生の間で共有されてる西洋的なバックグラウンドがある。例えば授業で結婚式の話がでてきた。神父・半兄弟・洗礼・ godfather (名付け親) など耳慣れない概念が出てくる。ラテンの結婚スタイルと米のそれは違うが、日本よりはよほど近い。だから、アメリカ人の生徒は背景の近さのおかげでアルゼンチン人の先生の言ってることがよりよくわかる。そして、「どんな結婚式をあげたいですか」という質問。俺は勝手に日本風に答えるけど、アメリカ式、アメリカ若者式の発想 (ビーチで、ダンスでとか) を聞いてかなり新鮮。

こんな充実してる授業もあくまできっかけ。本当にうまくなるには、もっと読み書きしたり、旅行でラテン友達との会話で鍛えることになる。

言うまでもなく日本の英語教育はほとんど逆のことをしてる。そして、学歴社会や受験本位の傾向が強かろうが、先生や人々の多くが英語を話せなかろうが、改善のためのヒントがたくさん拾える。

(6) そして

たくさん書きました。日本で 1 人から始められることもたくさんある。自分の音読を録音して聞いて直していくだけでも効果はある。子どもはそうやって母国語の発音を修得する。また、Eメイルやインターネットは島国日本にとって強い味方だ。読み書きだけでも、外国の友達とのつながりを作ったりキープしたりできる。相手がネイティブなら生きた表現がたくさん入ってくるし、友達に会いたい話したいという気持ちが意欲を高める。

あまり教育教育言いたくはないけど、英語の学習について、嬉しいことや悔しいことを自分で体験した人は英語に興味を持ってる他の人、特に若い人に自分の体験を教えてあげてほしい。自分が英語得意でも苦手でも、高校生に英語を学ぶ意味とかやり方とかはアドバイスできる。俺が受験英語を疑問も持たずにカリカリやってて、今苦労してるだけに強くそう思う。高校生くらいで 1 ヶ月でも外国に行くチャンスがあるととてもいい。

最後に。「英語やる必要ホントにある?」「なんで勉強してるの?」

日本の英語教育の事はとりあえず置いといても、日本人が英語をうまくなるには大変な労力と時間がかかる。アメリカに住んでも半年や一年でペラペラになる人は少ない。

日本。人口 1 億 2500 万の経済大国。やりたいことはかなりの範囲で何でもできるし、素敵な人や色々な活動にめぐり会う機会が無限にある。「国際化」というキーワードが独り歩きしてて「英語を話せる=良い」という風潮があるけど、ホントウにあなたにとってそうですか?日本国内で英語に触れずして幸せを追求することは十分できる。何やかんやいって、日本にはそれだけの経済力やすばらしい文化がある。外人をわざと避けることもないけど、国内派で暮らすのも 1 つの答だ。大きな労力を費す価値があるかどうかもう一度考えてみよう。