2001年1月31日

Viva UCSD!

San Diego に住んで 4 ヶ月目の雑感を語るなり。

(A) 大学

キャンパス内の大学院生用のアパートに住んでます。これがいい。4 人部屋だけど、寝室がそれぞれ個室で、8 畳くらい。机・クローゼット・たんす・ベッドが備えつけ。そして共用のシャワー・キッチン・居間はでかい!! 居間が 12 畳、ソファー・椅子付きなので、ホームパーティもへっちゃら。俺のホームページから UCSD の出してるアパートの写真と間取りを見れます。

気になる家賃は 327 ドル (=37000 円)。来る直前まで住んでた池袋と同じ家賃とは思えない (池袋の家もかなりお買得だったけどね)。電気・ガス・水道代は込。インターネットは寝室からタダでつなげて使い放題!


キャンパスはきれい。そしてでかい。授業の間に移動するのに 15 分とか平気でかかる。散歩しがいがあるかも。建物それ自体もでかい。特に、事務の人も多くが広い個室を持ち、個室でないにしてもパーソナルスペースが広い。日本の事務の人少しかわいそうかも。


近辺のバスはタダ。スポーツ施設もタダで使い放題。ジム・プール・各種コートがある。色々なレクのクラスも安値 (3 ヶ月 15〜50 ドルくらい)で開講してる。サイクリング、水泳、テニス、ダンス、サイクリング、柔道、剣道、空手、合気道、沖縄空手....日本よりすごいかも。スポーツ以外にも、文化などのクラス・クラブ・学生寮・家族寮・幼稚園・奥さんスクール・映画館とかもある。


そして、international center という場所があって、留学生のケアからイベントや交流の企画をしてくれる。うちの大学(日本の)では、留学生、特に理系では、日本人学生との交流がないというアンケートの結果がある。


ところで夜。パーティがあれば必ずでかける。パーティは、まるででっかい合コンみたい。ホームパーティが主体。ホストが友達を集めて、料理は持ちよりかホストが振る舞って、わいわい飲んで食べて会話する。これで日本の合コンも大丈夫だ!?

(B) 教育

最初の学期は、物理 2 つと、社会人と一緒の oral presentation のクラスをとってた。ここでは、物理学科の人は物理だけやる、という類の暗黙の拘束はない。全て自分次第。今学期は調子にのってスペイン語までとってる。宿題がきついけど、女の子がたくさんさ。


授業は先生も生徒もやる気がある。質問が飛び交い、3 ヶ月でその分野を徹底的に練習・理解して身につけよう・身につけさせよう、という気合いが感じられる。各先生は毎週数時間の "office hour" の間は自分のオフィスにいて、生徒が自由に質問できる。


予想通り宿題はたくさん。教授は、教えるのは研究と同じくらい大切な仕事と考えてるし、大学も教授に教育力を要求している。ある程度の人間性がないと先生もやってられません。


Oral presentation のクラスは `UCSD Extension' に属するクラスで、外部の人も(有料だけど)来る。ほぼ毎回 presentation が課される。英語力だけでなく、緊張・自信・自身・面白さとか色々試される。英会話や発表力だけでなく、自分が語るだけの何を持ってるか、それを表に出せるかが大切だね。


日本は、学生も先生もやる気がない、とよく言われる。でも、それだけじゃ説明できない問題もある。教育予算が少ない、国としての教育方針がない、上がしばるから各先生も方針を打ち出せない、学生が大学受験で疲弊してる、など様々な問題が絡んでる。


アメリカに来てから、「日本の授業料はぼってるなあ」と思う。日本の大学が学生に何をしてくれるんだろう。マスプロ授業・20 年間変化のない授業・貧弱な施設・形式的の域を出ない事務。これが高い学費に値するのか?大学のネームバリューとそこで出会うかけがいのない友達たち、それ以外に何があるのか?


大学院も場合による。無給で教授にこきつかわれる実験系の院生、教授に全くほったらかしにされてダメになってしまう理論系の院生、出張ずくめで生徒の世話をする時間のない先生たち。形だけの院の授業。


それに、本気で勉強したければ、他の大学にさえもぐれる。他の大学や研究所に支持をあおぎたい先生を探しにいくこともできる。


California 大学は州外の人の学費は年150万くらい、州内の人はほぼタダ。州外の人と留学生にはかなり高いけど、院生の場合、先生の研究の手伝いや学部の授業のアシスタントをして給料が出る仕組みになってる。院生で親のすねをかじってるって話はあまり聞かない。


確かに、院生が給料のために先生の奴隷のように働いて、自分の道を探す時間がない、創造的な試みがしにくい、という問題もある。でもそれに勝るメリットがある。


アメリカは、州が教育につぎ込む金・人材・仕事・情熱の量が日本と違う。教育が人を造り、人が国を造る、そして教育を通じて、それぞれが自分の生きる道と幸せを探す。自分で考えて活動して探す。そのための情報やツールは大学が提供してくれる。やるときゃ皆マジだ。


日本は?たくさんの税金が無駄使いされてると思う。自分も日本から税金をもらう身分になってみて、「むだだな、形式的だな」とよく思う。それに、自分の大学を見てると、事務も教官も、公務員だから(私立でも大抵そうだけど)首を切られない・仕事を杓子定規に「流す」・不要な書類の山・不必要に必要なたくさんの人の印鑑・大学組織の硬直・横のつながりのなさ、とか負の面があまりに多い。各自はそこそこちゃんと働いてるけど、グローバルな視点や改善の視点がないし、あっても出せない。


日本人は、時間の大切さがわかる年よりもっと若いときに、気づかずして時間をたくさん無駄にしてる。使いもしない知識をつめこんだり、半分以上が興味もなく理解もできない数学が必修だったり、授業中寝てたり。集団集団で「主体的に」動く機会を与えられなかったり。生徒が悪い、先生が悪い、親が悪いじゃない。個人は誰も悪くない。でももったいない。


誰しも少しずつ成長するけど、小・中・高くらいまでは、何が自分に必要なのか知る術が少ない。自分も中・高では疑問もなしに受験勉強に邁進してたから、それで何かを犠牲にしたからよくわかる。


教育って子ども・大学生問わずに「こんな道もあるよ」って、色々な選択肢を見せてあげたり、何かをしたい時に、それにつながる情報・知識を得るチャンスを提示したりするもののはずだ。個性を伸ばすってそういうこと。


大学生で比べると、アメリカの学部生は、日本の学部生より「平均的」に、かなり将来設計ができてる。学力はあまり日本人と変わらないけど、自分の専門に誇りと責任を持ってる。専門授業も仕事と関わりが深い場合が多い。


文化・人間だと日本的がいいなー、アメリカ的がいいなー、と思うときがそれぞれある。でも教育は日本の負け。

(C) サンディエゴ

日射しは強いけど、夜は涼しい。また、湿気が少ないので汗をかかず、気温の割に快適。そして冬でもコートがいらない!昼なら半袖も可だ。


唯一の物質的な不満。それは飯だ!食堂がファーストフード系しかない。リゾート地の中に大学が立っているので、安いスーパーマーケットがない。何せDowntownに近づくほど家賃が安くなる。車で 20 キロ先まで買物に行くこと日常。


肉・パン・菓子が安く、野菜が高い。うきー栄養派の俺としては、最悪。健康を保つためには自炊しかない。そんなわけで毎日自炊。ルームメイトもよく自炊してる。色んな怪しいアメリカ風味を試してるよ。


一番の日本との違いは、でかさ。駐車場・スーパーマーケット・車道(片道 6 車線も見かける)・公園・街。全てが車サイズ。土地が余ってるので、ふんだんに使ってて、人々は散って(spread)生活してる。California は東海岸より特にそうらしい。その一方で公共交通が発展してないので、車がないと交通弱者になる。そして、車がないと遠くに遊びに行かない(行けない)のでエンゲル係数上がりまくり。でも、学校の近くで満足してる。俺は一年だからいいけど、定住してて車を持ってない人は特に不便そうだ。バス遅いし。


人も食べ物もでかい。ヨーグルト1個が日本の倍の大きさ 230 Kcal で愕然とした。ビッグサイズを高い値段で売ってる。小売りしてくれよう。


でかいと心に余裕ができる。満員電車もなく常に自分の空間とスタンスを保てる。大学の事務のオフィスも 1 人一部屋が珍しくない。車も 1 人 1 台。個室も大きく自己主張のしがいがある。


その一方、節約という言葉をあまり知らない。不便をがまんするということを知らない。必要ないらしいし。環境問題に取り組む人達もいるけど、どんな車がたくさんあっても広いので問題が顕在化してこなくて、リアリティがない。過剰包装が目立つし、分別回収しない。こういう所に日本の良さが隠れている。


気のせいか、時間の流れもでかくて大ざっぱに感じる。授業はきっかり始まってきっかり終わる。でも、基本的に時間も車単位で 5 分や 10 分という細かさが意味を持たない。時間があり、空間があり、ゆったりしてる。やる事がたくさんあって忙しくても、人混みがそれに拍車をかけるような忙しさではない。基本的にペースはゆったり。自分をよく見つめられる。

(D) インターネット

5 年前にフランスとコスタリカ(中米)に 1 年留学した友達が 1 人ずついる。彼女たち曰く:


「私達の頃はメイルなんてなくてねー、エアメイルで往復最低 2 週間。悩みを相談したって、返事が来た頃には解決してて、遅いんだよー」


しかし、インターネットはすごい。望めば日本語で毎日友達とつながっていられる。大学の授業登録や情報収集もそうだし、日本のニュース・アメリカのニュース・旅行・勉強・仕事の検索。何かの活動を始めようとした時に、すぐに情報を集めて動き始められる、なんてすごい時代だよ。しかも寝室からタダで接続可だし!留学にも革命を起こした!?

(E) 日本

日本、特に都市のいい所って何だろう?むしろ「密集」だと思う。たしかに、家が狭く、電車は混んでる。でも、教育されて、金や行動力を持ってて、自分で自分の行動を決定できる個人がこれほど密集してる都市。こんな所はなかなかないぞ。東京圏の人口と密度は半端じゃない。ロンドンもパリもへっちゃらさ。


人間がたくさんいると可能性や出会いがたくさんある。こまめに並ぶ全ての市に全ての街にドラマがある。何かいつもと違うことがしたいとき、internet や本屋に行けば、誰かしら関係してる人が見つかる。ここまではどの都市もそうかもしれない。でも、すぐにアクセスできる。それに同じ興味を持つ人をたくさん集めることができる。話し会いを持って行動に移せる。たくさんの人を巻き込むことができる。たくさんの人の行動をパワーに変えられる。たくさんの人にサポートされた盛り上りがある。


サンディエゴの余暇はボート、サーフィン、スキー、ゴルフなど、「でかい」。安い値段でこういうのを楽しめて(俺は縁がないけど)それはそれで素敵なことだ。でも、東京のように人が人に働きかけて変わって、っていうダイナミクスがあまりない。もちろんサンディエゴ人も、それぞれかげがえのない友達をたくさんいて、密度の高い生活を営んでいるんだけど、自分の世界と赤の他人の世界が出会うチャンスが決定的に少ない気がする。知らない人同士が普通に会話するフレンドリーさなど、確実に人間関係が茅生えていく所はさすがアメリカだけど、東京で、無数にある相互機会のチャンスを生かせるとしたら、すごいことだ。確かに他人に無関心な日本人も多いけど、探せば無数のチャンスがあって、機動性もある。


もう1つは「我慢」だな。アメリカ人も他人には気を使ってくれる。自分勝手を発揮しまくるやつなんてアメリカ人の間でもウケるわけがない。でも、物や便利さに関する「我慢」はあまりしないと見える。上にも書いたけど、モノもスペースも十分にある。我慢が必要なときはするけど、必要ないとき・しなくても誰も困らないときは我慢しない。ここに、環境問題とか開発問題とか考える鍵がある。


1 人の行動は良い方向へも悪い方向へも少ししか寄与しないけど、それでも各自が少しずつ負担をすると「好ましい」タイプの問題。結果の具体性が見えいし、しなくても他人を傷つけはしないけど、1人1人が取り組まないと解決できない問題。そんな問題ってたくさんある。


例えば、環境問題は放っといたらヤバくて、各自の努力が今まさに「絶対必要」だ。でも、影響が見えにくいから多くの人々には、やればまあ「好ましい」かな、程度に映っている。それでもホントは動かなきゃいけない。日本は大金出す以外に頑張れるんじゃないかな、と思う。


サンディエゴの生活はこんな感じです。続編に乞うご期待。