2001年8月31日

南米、光と陰

6月30日〜7月13日

ペルー遺跡発掘 (with Earthwatch)

7月15日

2 日間のリマ観光を経て、クスコへ...のはずだったが、そこはペルー。Overbooking で俺を含む 25 人が翌日の便に回される。高いチケット買っといたのに。Lan Peru は待たせる・状況を説明しない・謝罪しない・補償しない、という最悪の対応だったのに、Peru で最も良い航空会社という。

とにかく、リマ延泊。安宿に詰めこまれると思ってたら、星の絵が 5 つ描いてある。俗に言う 5 つ星デビュー? Lan Peru よ、25 人も 5 つ星に泊めたら損失出すぞ。することないので、ホテルのカジノで博打デビューを飾ってみる。アメリカに 1 年住んでいながら、ラスベガス以外でデビューとは。さらに暇なのでバスタブに湯をはって入ってみる。ぬるい。でも、シャワー生活だったたから、今年初の風呂桶♪

ペルーの首都リマ。人口 700 万。ひたすらでかい。車が人がせわしく行き来。2 車線に 3 台並んで走ってしまうし、タクシーの値段が同じ距離でも運転手によって 3 倍くらい違うので、細かいことはあまり気にしない方がいい。ATMは金をおろすために 1 時間待たされるので、あまり急がない方がいい。

7月16日

7 時ホテル発と言われてたのて 6 時起きしたのに、1 時間半遅れ。10 時 45 分離陸のはずなのに、3 時間遅れ。謝罪や、早くしようという努力はない。俺的には、時間は重要な財産。でも、この国では、金のやりとりは重要だけど、他人の時間を尊重するという概念がないと見える。

とにかくインカ帝国の首都クスコへ。街並は茶色に統一されててきれい。1 週間スペイン語を勉強すべく、学校とホストファミリーを紹介される。どこかの航空会社やタクシーの運転手と違って、親切で誠意のある人達で安心。

夜、語学学校の飲み会がある。ここで増田は大きなミスを犯した。女の子に...ではない。酒を飲んでしまった。クスコは 3000m 級の高地。到着後数日は飲酒、入浴、運動は禁物。おかげで 4 日間頭痛と闘うことに。

7月19日

夜、劇場でクスコの伝統舞踊を見る。お約束通り 30 分遅れで開演。舞台には黄金の Inca の紋章が飾られてて圧倒的な歴史を感じる。

7 組のペアが、素敵な伝統衣裳をまとって踊りを披露....これが全く揃ってない。中にはうまい踊り手もいるし、1 つ 1 つの動きに宗教・儀式的な意味があって深いんだろうけど、統一性や秩序が全くない。

「統一性」や「秩序」は、日本を含む一部の地域での美徳だ。揃ってないからきれいに感じないのは、観客の中で多分俺 1 人。初心者が混じってて隣の踊り手を下手真似してるからといって、「用意しようよー」と思ってるのも、あるいは俺 1 人。無料でこういうショーが開放されてるのを尊重し、伝統を堪能するというのが良い見方かもしれない。

日本のシンクロスイミングが強い理由がわかる気がする。シンクロは、泳ぐという側面の他に、集団プレイ・統一性が重要。各人が適度に抑えて周りを慎重に見ながら個人の持ち場を果たして初めて結果が出てくる、そんな競技かと思う。日本人って、ラテンアメリカ人よりはもちろん、アメリカみたいな個人が素晴しい力を発揮する国々よりも、そういうの得意かも?日本は、個性の沈没とか言われるけど、組織の仕事で・集団美を探究するために、集団プレイが必要になる時は多々ある。現にシンクロスイムは世界的に評価されてる競技だし。

7月21日

1 泊 2 日で秘境マチュピチュへ。帝国時代に使われてた「インカの道」が開放されてて、トレッキング可。参加したツアーは 12 人で 8 ヶ国という超多国籍グループ。みんな長旅行してて、色々な話が聞ける。テント泊の末、マチュピチュに到着。山・崖・緑・遺跡。不思議で綺麗な組み合わせの中にインカの技術と文化が凝縮されてる。

帰りの電車待ち 4 時間。ツアーだからか、南米だからか。たくさんの土産屋や観光客向けの商売が、道に線路に立ち並ぶ。子どもの靴磨き・物乞い・全く同じ商品の土産屋が10軒横並び。クスコは美しいし、物もだいたい揃うちゃんとした街だ。でも観光業の繁栄の裏に、観光しか職がないという陰がある。語学学校の先生曰く、たくさんの若者・子どもが酷使されてる。別に強制労働されられるのではなく、したい事をする権利は保証されてる。でも、生きていくために若いうちから低い給料で重労働せざるを得ない。子どもがうつろな目で物を売り、若者ポーターが重い荷物を背負ってインカの道を走る。死んでく者も多い。

クスコ唯一の公立大学には毎年 400 人の枠に 7000 人が応募。枠の大小はともかく、日本なら受験に失敗しても浪人できる。でも、ペルーの一般家庭にそんな金はない。人生の分かれ道。甘ったれてない分たくましいけど、朝から夜まであまり売れない物を売り歩いてて、苦しそうに見えることもある。

7月23日

クスコから夜行バスでボリビアへ。ボリビアは

交通のストライキが続いてて、バスが走ってないとか、

タクシーの運転手(個人営業)と乗客が半暴徒化したバスの運ちゃんに車を止められてリンチされてるとか、

国境が閉鎖されてて、チリ経由でないと入れないとか、

交通ストライキが航空会社にも及んでて、日本に帰れないとか、

色々な噂を聞いたが、引き返してもつまらない。突進!

ボリビアとは関係ない所で事件は起こった。

転倒!転倒!...ではなくて、盗っ人だ!イラン人の女の子の旅行者が貴重品をすられる。彼女はずっと起きてて膝下に鞄を置いといたのに!彼女は乗客全員の身体・荷物検査を強く要求。彼女は悪くないんだけど、俺も乗客も犯人も含め「イヤだなー」という雰囲気が漂う。たまたま警察の交通チェックが入ったので、引き返して地元の派出所へ。彼女の席は後部。後ろ半分だけバスから放り出されて検査。彼女の一列だけ前に座ってた俺ももちろん。

雪積もってるんすけど。氷点下 2 度。

常春 San Diego に住んでたのでコート持ってないんすけど。

ペルーって暖房ない国なんすけど。

彼女は俺らの検査の間に、強気にもバス後部のみんなの私物をあさって、ついに自分のパスポートと航空券を発見!後部座席 25 番。犯人判明。しかし、彼女の金は見つからない。彼女は、警官と犯人がつるんで金だけ隠してるのかと疑って引かない。しかし、あと 4 時間で月曜の夜明け。ついに、乗客のほとんどと運転手が降りてきて警官に出発を要求。


「俺たちも明日仕事・学校があるんだい。ペルー人が被害者だったらそんなにちゃんと調べてくれねーんだろ。不公平だ。ぶーぶー。」


お、鋭い。ペルー人ははっきりいって他人に気を遣える人が少ない種族だけど、集団に埋没せずに自分の権利を主張するたくましさは持ってます。ペルー人の若者の乗客は年が近いからか、彼女に同情してか、彼女を弁護。どちらにしても、答のない問題。

結局山の中の派出所に 2 時間滞在後、犯人だけ拘留して出発。寒いっつーの。その後、若者たちは、彼女のためにカンパを募る。カトリックはすごい!あれだけ不満を言ってた乗客のほとんどがカンパに協力。その一方、彼女はお礼も言わず...

俺はたまたま膝の上に手荷物を抱いてた(寒さしのぎ)けど、油断してたら俺が被害者だったかも。

7月24日

ボリビアに突入。チチカカ湖に映える夕焼けと朝焼けがきれいな Copacabana 泊。静か・ゆっくり。時間が止まったような街。ホテルを探索する気力がなかったので、バス停から一番近い眺望の良さげなホテルへ。


個室。お湯シャワー(南米では当然ではない)付き。観光地だし、2000 円までよしとしよう。

「いくら?」
「30 Bolivianos = 550 円]

物価がくそ安い!ペルーもかなり安い国だけど、ボリビアは更に半額。チチカカ湖半日ツアー 270 円、1 日ツアー 360 円

7月25日

ボリビアの首都ラパスへ。バスは 4 時間乗って 250 円。いいのかあ。石が散乱してて非舗装並みの舗装路を 1 時間走った後、チチカカ湖に行き着いた。橋がない!乗客全員、降ろされて、船で海峡(湖峡?)を渡る。5 分後。う、バスが泳いでる....更に 5 分後。目を凝らして見ると、バスはバスよりほんの少し大きい木ボート(ほとんど木の板)に乗って移動してる。よく浮いてられるな。

バスは池の上も走った。今度は船なしで!タイヤ水につかってるんすけど。とにかく着いたは標高世界一の首都ラパス。ラパスは、更に高い 4000m 級の丘(山ではない!)に囲まれている。

もちろん、首都だから通りも活気ついてるけど、貧乏さをつぶさに実感。乞食、ぼろい建物、物価の安さ、釣銭不足、靴磨き、体重測り屋、単品の菓子屋・ハンガー屋・ペン屋・ポップコーン屋...

ボリビアは、ゆったりした国だ。海がないので貿易には不利であり、山が多いので国内交通が悪いから?ともかく、ラテンの典型にはずれず昼は店を閉じ、広場では平日の昼間から大勢がリラックスしてる。博物館も良い陳列物を持ってるのに、説明資料がスペイン語ですらほとんどない。観光資源を整備して、観光で金を稼ごうという意識が弱い。仕事も工夫を欠く。同じ露店が過剰に立ち並び、全てにおいて待たせる。

もちろん、物質的満足がなくても、楽しんでやってればいい。実際彼らは穏やかで、基本的にはフレンドリーで、細かいことを気にしない気楽さもある。しかし、ボリビアは貧乏にあえいでる。スペイン人が余裕の上に楽しんでるのとわけが違う!リッチな層はいるし、しっかり生活を立ててる人もたくさんいる(特に旅行中出会った人達)けど、平均的には怠惰で敬虔なカトリックで、その結果、国全体としても仕事が少なく、働きたくても仕事がない、という悪循環にはまってる。向上心・競争心・努力・我慢などは多くの人にとって美徳ではない。

ペルー・ボリビアにはインカ文明があって、16 世紀までには繁栄を誇ってた。でも、スペイン侵略以降、独立以降も未だ貧乏さを克服できず、貧乏に伴う余裕のなさ(他人の気持ち考えないとか)がある。

日本ってすごい。明治開国以降、欧米に侵略されて貧乏植民地になってしまったかもしれないのに、独立を守ってきて、現在は小ささにも関わらず世界に誇る経済力・技術力を持つ。16 世紀には国力も大差なかったはずなのに何がこの明暗を分けたんだろう?

「勤勉さ」と「丁寧さ」。日本は欧米より人生楽しむのが下手だとか、他人に冷たいとか、内輪でかたまるとか、エコノミックアニマルとか言われる。しかし、19 世紀は列強を真面目に真似ようと頑張ったり、戦後の貧乏からはい上がるために、たくさん勉強・仕事した。そして、他人に気を遣うという美徳がある国なので、各人が自己主張しすぎず、会社・国の集団として効率良く発展できた。

最近の日本では、経済的な成功は、個人の内面の満足に比べて表面的だ、もっと個人を大切にしよう、というムードが垣間見える。でも、金は表面的ではない!心の余裕を持つにはある程度の経済力が必要。それに、経済発展の結果、世界の色んな国が日本に注目してる。たくさんの人が日本語を勉強してる。アジアの多くの国が日本を見習おうとしてる。1 つの「成功体」を生み出した日本文化が勉強される。大多数の国民が衣食住プラスしたい事がある程度できる経済力を持ってる。世界でトップレベルに安全。日本のパスポートは信用されて、世界の多くの国にビザなしで入れる。多少コミュニケーションに難があっても、他に長所があるんだからいい。

7月28日

自転車ツアーに参加。標高 4000m まで登って 1500m まで自転車でかけおりる壮大さ。自転車には慣れてるはずだった。


走行開始。

10 分後、気温が 10 度未満。走ってるとさらに寒い。

20 分後、降雨観測。

30 分後、泥道に突入。

40 分後、登り道に突入。

50 分後、雨が嵐を伴って、風に吹かれる

60 分後、よく見るとガケ道を走ってる。ガードなんて甘えはない。

よくみたら、10 人中 6 人がすでにリタイア。負けられねえ。でも、昼には体が凍りきってて、午後は走れなかった。屈辱。リタイアしたみんなが、午後は寒雨の中走りだす。車の中から応援。く、、、、

7月31日

5 本のフライトを経て、1 年ぶりに日本着。トイレが正常に作動することにすら感動。やっぱ日本だよ。

南米と日米欧の一番の違いは、時間の概念だ。風景・ラテン・アンデスに興味があって、さらに時間に頓着のない人、日本と全く違う価値観を見たい人、そんな人におススメだ。できれば 2 人以上で。