2001年1月10日

メキシコ・グァテマラ。サンタフェのおまけつき

San Diego から Mexicocity へ飛ぶ。実際は San Diego とメキシコ合衆国は隣。メキシコ人が国境を越えて San Diego に通勤通学してくる。しかし San Diego から Mexicocity までは飛行機で 4 時間。Mexico はでかい。

空港についたら夜 1 時。Mexico 初のびっくりは..... 出迎え!夜中だというのに、大人も子どもも到着ゲートで家族(友達?恋人?)を待っている。すごい数。お目当ての人を探そうと到着客をチェックしてる。俺もチェックされてしまった。えへ。俺はアメリカ行きの時も独りだったのに、ぶつぶつ。もしかして Mexico 人は家族をとっても大切にする民族なのか?という勝手な予想をたてる (多分そう)。

夜 1 時に市街には行けん。必殺空港泊。慣れたものだ。しかし!!! 寒い。暖房なし、ドアあけっぱで吹きさらし。ひゅう。冬でも半袖可の San Diego ならそれでも大丈夫なんだけど、ちょっと辛い。

そして、Mexico 唯一の残念:空気が臭い。なぜなら

車が多い。

ガソリンが悪い。

高地 (標高 1600 m) にあるので、空気がなかなか浄化されない。

Mexicocity は世界一大気汚染がひどい都市と言われてて、汚名挽回すべく頑張ってる。

次の日、バスで南部の中心都市 Oaxaca (オアハカ)へ。メキシコは鉄道が役に立ってない(でかいし)代わりにバス網が発達してる。バスターミナルも近代的。6 時間のバス旅。

Oaxaca は食べ物がうまい。メキシコは地域ごとに独特の食べ物がある。Oaxaca はチーズとチョコ。チーズはゴムのような歯ざわり、チョコは精製されてるかされてないか怪しいけど、カカオがとてもいい。「原産」の風味。そして Tacos, Tortilla (知ってる?)といったメキシコ料理に Oaxaca チーズがとてもあう。トウモロコシから作った円形の皮に、焼いた肉や野菜を狭んでサルサ(ソース)をかけて食べる。軽食の類。

そうそう、アイスがいいよ。果物の実がすりこんでって20〜60円。うまか。

食べ物の話ばかりだね。

メキシコにはどの街にも Xocalo (ソカロ)という広場があって、そこを囲むようにしてレストランや店があり、市がたち、中央教会 (Cathedral) があり、人々が集う。

メキシコは生活・物価を見てる限り、いわゆる発展途上国よりは経済力がある。しかし、貧富の差が大きい。街中、物売りが多い。多すぎる。物売る人はどの国にも必要だ。屋台や露店は旅行者の楽しみだし、地元の人もよく使う。でも、同じモノやサービスを売る人が多すぎて共倒れ。特に、靴磨き、菓子売り、土産屋が街にあふれている。そして、子どもがたくさん働いてる。子どもが売り物を手にレストランやバスの中まで虚しく宣伝に来る。クリスマス休みだから働いてるだけ?普段は学校行ってるのかえ?

最近、増田の中では「教育」がブームなので、考えさせられた。土産売りが、


「この街は土産売りが過剰だなー」


ということを知ることが必要。実際は、大人になればみんなそんなことわかって
て、


「でもこの仕事しかないし」


って感じなんだろう。そういう見方を若いうちにできるようになればいいのかな。

何が観光客にウケそうか、あるいはどんな skill が自分に必要か。そういうことを「考える」力。若いうちにそういう思考力をつけるのを助けるのが教育?高等教育が全てじゃなかろう。

まあ、不景気で仕事が少ないから、話はそんな簡単じゃないけど。

一番印象に残った街はメキシコ南部の San Christobal de Las Casas (サンクリストバル・デ・ラスカサス)。Indigena (多分メキシカン・インディアン)が人口の 3 割くらいと多い。標高 2200m にある秘境だ!小さい街だけど市場が活発で、トウモロコシ焼きやココナツの菓子がうまい(また食べ物)。小さい市街は山と無数の教会に囲まれてる。

Christmas Eve はここの教会でスペイン語のミサを聞いてた。メキシコは敬虔な Christian が多い。Europe よりもさらに、教会が日常の中にあると感じた。何を考えながら説法を聞き、礼拝に通うんだろう?

クリスマス 国境を越えて グァテマラへ バスなし街なし 40キロ Taxi

メキシコもグァテマラもスペイン語を話すキリスト教国で、食べ物も文化もそこそこ似てる。でも、グァテマラははるかに激しかった。国境から最寄りの街まで、非舗装道を40キロ。その名も Huehuetenango (ウエウエテナンゴ)。この吐きそうな名前の街でクリスマスディナー。

国境で知り合ったメキシコ人・イタリア人たちと、しばらく一緒に行動。こういう友達っていいね。

グァテマラはメキシコよりはるかに混沌としてた。物価はメキシコより全然安い。日本の 1/5 くらい。そして、事件は起こった。

夜メキシコ人 Omar と同室。トイレに眼鏡を置きっぱなしたまま、トイレのドアが外から開かなくなってしまった。トイレと寝室の間は壁だが、天井にすき間が。当然登る。よく見えない裸眼で飛び下りるのは怖いので洗面台に足を置いた。.....しかしそこはグァテマラ弱かった(俺のせいという噂もちらほら)。

ガッシャーーン!!シューーーーー!!


「うお! Water, Water!」


Omar「どうしたー!!」


何が起きたんだー!洗面台は崩壊した。トイレの水置けと水道管を突き破って地面でガッシャーン。水道管の水とトイレの半汚水がふっとぶ!!


バシャーーー!!増田は水浸しになった。半汚水と水道水のミックスを浴びる。


Omar の help で助かった。彼の機転で


「Naoki が手を洗ってるうちに勝手に壊れた」


ということにしてもらって払わなくて済む。助かったぜ。

次の日、汚水まみれで(ウソ)Atitlan 湖へ。Tikal (遺跡)と並ぶグァテマラ観光のメッカ。活火山と湖。夕焼けがめちゃくちゃ素敵!果物、魚、肉、伝統衣裳、ハンモック、布、水泳、色々あった。

ここでも子どもがメキシコよりさらにたくましく働いてた。観光地なので仕事もあるからなのか、船員・物売り・店番。一人前だった。どんな大人に育つのかな。

そしてついに来た!生ニンジン(かき氷説もあり)にあたった!ウキキキーー!苦しい。

夜中、腹くだしにもだえる中、Omar はイタリア人の女の子を連れこみ...キャー。それも気にならない位 Omar はいい奴だった。

翌日、灰のような形相で Antigua へ。顔色が悪いのか、単なる日焼けかよくわからないけど、顔がどす黒い。Antigua は街中にあちこち教会がある絵のような街。でも、下痢でもだえてて、味わえなかった。

最後に首都 Guatemalacity へ。混沌だ!活気、ゴミ、屋台、太陽、排ガス、満員バス、安宿、人人人。色んなモノが混在してる。警察が銃を構えたままパトロールしてるのが印象的だった。銀行の入場時にもボディチェックされる。治安保守は住民のため、そして観光業を重視する発展途上国の宿命。貧富の差、不景気、観光資産。そんな中、よりよい国を目指して模索してる感じがした。

Mexicocity 乗り継ぎで飛行機で San Diego へ帰る。計 6 時間の flight で 3 回も飯が出た!


1 食目。グリルなのに火の通ってないニンジン。おなかを通れない。


2 食目。ガーデンサラダに生ニンジン。おなかを通れない。


そして、同じ機内で 2 時間後に 3 食目。同じガーデンサラダに生ニンジン。こら、使い回しすな!お腹を省みずに、やけ食い。

サンタフェ番外編


年始は仕事で Santa Fe へ行った。Santa Fe と言えば宮沢りえだね実際はアメリカ中南部。メキシコ国境の州。

18 人乗りの怪しいプロペラ機で Santa Fe 空港へ。隣接してる州の州都 (Phoenix, Denver) から計 1 日 10 便くらいしかない。空港は駅より小さい。

街全体が条例で「アメリカインディアン造り (adobbyと言う) の家しか建ててはいけない」事になってて(例外もあるけど)、おとぎの国のような造りだ。薄茶色の角をヤスリで削ったような、木綿豆腐のような石壁がずらずらずらと並んでる。圧巻!

小さい街には Gallery や美術館が星の数ほどあり、ここに定住する芸術家も多い。郊外には温泉、スキー場、しゃれたカフェ。高級な街だぜ。俺にぴったり。

そんな Santa Fe も、メキシコからの移民が多く、英語が話せない人も多いらしい。経済格差がある。Santa Fe のもう 1 つの顔。

そして 40 キロ離れた Los Alamos という街に行った。ここには原爆博物館がある。なぜなら.... ここで広島・長崎に落とされた原爆が作られたから。作られた当時 (1943〜1945) は Los Alamos はアメリカ人にすら秘密の街で、存在しないものとされてた。住民 (軍隊関係者・開発者と家族) も生活の全てがチェックされててきちきちだったらしい。

資料館には技術面だけでなく、歴史の状況も説明されてた。

予想通り、


「原爆は戦争を早期集結させてより多くの日本人とアメリカ人の命を救うのに役立った」


というトーンだった。沖縄の後に九州を攻めたら、日米双方 10 万人から 100 万人規模の犠牲が出るだろう、という試算。日本幹部の戦争への固執。その一方、広島や長崎の被害の資料は 1 つもなかった。終戦時期の米ソのかけ引きも触れられてなかった。歴史とは、とらえ方によるらしい。

最後は Santa Fe の食べ放題中華 (9ドル) で締めだ!皿の重なる増田に他の客から感激の視線が!!