2000年3月31日

What's volunteer?

ボランティア。もとの意味は「自発的」。でも、日本ではこの言葉に高い壁を感じる。「私、ボランティアしてます」と言いにくい。偽善、物好き、金にならない、とっつきにくい、真面目、強者が弱者に与えるもの、、傲慢、などの印象がつきまとう。本人は好きでやってても。

欧米諸国のボランティアは盛んだ。まさにやりたいからやる。楽しいから、自分のためになるから、友達できるからなど。また、キリスト教という強い精神的支柱がある。友愛の精神。困っている者同士が助けあう、これ普通なり。助けた方も別に「へへん、偉いことしてやったぜ」なんて思わない。助けてもらった方は感謝の気持ちを持ち、何かの機会に返礼しようというのがキリスト教の精神なのかな。よくわからんけど。

日本では、教会的な友愛精神を肌で理解することは難しい。戦後 50 年。欧米に追いつき追いこせ、の価値観からは金・名誉・地位などが重視されて、それ以外は切り捨てられてしまう事がよくあった。他人のために仕事する?は!なにそれ?だった。でも、日本も経済成長しました。物もお金も余る今、人間らしい生き方や生きがいについて自問する人が増えてます。そんな時代だからこそ、ボランティアが注目されているんではないでしょうか?

でも、ボランティア=偽善・おせっかい、という日本の風土は根強い。ところで、「他の人の役に立つからやる。それボランティアの真髄なり」と思って働いている(宗教精神持たない)ボランティアがどれほどいるか疑問だ。仲間と一緒じゃなくて 1 人でぽつりと働かされたり、仕事先で冷遇されて礼も言われなかったりしたらどうだろう。やりたくなくなる人が多いんじゃないか?むしろ、何か得られるからやるんじゃないだろうか。人がたくさんいてわいわいやるのが楽しいから。「ありがとう」と言われるのが気持ちいいから。養護施設の仕組みを知りたいから。異性との出会いが欲しいから etc。こういった動機を不純と思いますか? 俺はそうは思わない。それはそれで両方助かっているんならいいと思う。それぞ日本的ボランティア!?

俺がボランティアを始めた理由は暇だからです。インタビューにも平気でそう答えています。人の役に立ちたいからではありません。そして、今もやっている理由は楽しくて、学ぶ事が多いからです。友達ができるのは楽しいし、色んな人と話すのが好きです。また、組織や施設の事を知るのは勉強になるし、施設の職員や保護者、NGO のスタッフは、しっかりとした価値観と実力があって、話していて刺激的です。

俺は、精神障害者の生活施設によく出入りする。初めは戸惑ったけど、話しているうちに、障害者と健常者の境界は何?と感じます。会話してて半分くらい通じれば、それで楽しいし、通じなくても、一緒に何かをしてお互い楽しければいい。もちろん、職員は、我々来訪者が知らない泥臭い面も扱うので大変ですが、施設がそれを承知で来訪者(ボランティア)を受け入れるならそれでいいじゃありませんか。

ボランティアは時間・労力・金がかかります。でも、給料や目に見える物は手に入らないのが普通です。ボランティアは、心と経験の買物です。この買物のルールは:

  • ボランティアの権利

    仕事を選ぶこと。例えば、養護施設には行くけれど、高齢者施設には行かない。使用済み切手は集める気がないので集めないけど、祭りのためのダンボール運びならひたすらやる。

  • ボランティアの義務

    引き受けた仕事は最後までやる。行くと言った以上、遅刻や手抜きはやめましょう。たまたま与えられた仕事が単純作業でも、まあいいや、と思おう。ふつう、初心者は難しい仕事与えられません。

    継続的にやると、なおいいかも。色々発見あるし。

  • ボランティアの目的
    友達作り、人との触れ会い、自分の勉強、お互い感謝して心の充足、暇つぶし、行動を通しての自己主張などなど。人それぞれさ。

さああ、みなさんも暇な時間を生かして「自発的」な活動を始めてみませんか。