1997年4月5日

Australia 旅行日記

3 月 23 日(日)

朝、Nambour という小さい街に着く。Bri Bri で水上スキーをして Nambour に戻って泊まるというのが今日のプラン。Bri Bri 行きのバスがない。

俺「9キロだって。どうする?」

I 「歩くか?」

俺「歩こう」

炎天下田舎の山道を歩く。そのとき、ブオオオオオオ。来ないと思われた路線バスに時速 70km で抜かれる。こちらの時速 5km。どうあがいても勝てない。黙々と歩く。日射しは痛い。あと 2 キロで優しいバスの運転手に、善意で水上スキーの入り口まで運んでもらった。日本同様、都会より田舎の方が人が優しい。体力の限界を越えて昼飯抜きで即スキー。電動で溜め池を回るケーブルにロープが付いてて、それにつかまってスキーする。ケーブルが方向を転換する時に一気に力がかかるので握力と腕の筋肉と厚い胸板が必要です。ピアノで鍛えた(?)腕筋が発揮される。そして、帰り。

I 「バス来なかったらどうする」

俺「野宿」

I 「そうだな。ここ屋根ついてるし。雨だけど」

俺「やっぱ、来なかったら歩いて戻って宿探そう」

I 「野宿はねえ」

バスは来て街に戻るが、宿はない。早々野宿決定。ブルーな気分でピザ食べる。でも店が閉まっていて飲みものがない。唯一駅にある自動販売機は Coke。俺炭酸飲めない。ピザ濃い。水、水くれえ。おたけびをあげながらベンチに寝る。疲れていたので、ひからびたまま爆睡。

3 月 24 日(月)

起床。脱水。マーケットに開店ダッシュして二人合わせて 2.5 リットルの水分をとる。俺、即腹こわす。I は内蔵が強いので平気。そのまま Brisbane へ。手帳と本と涙の再会。3 日ぶりに宿に泊まる。・・・荷物の中で歯磨き糊破裂。かばん被歯磨き糊、櫛被歯磨き糊。またか。

3 月 25 日(火)

自転車で郊外を回る。まず Mt.coot-tha へ。遠い。10km。自転車で一気に頂上を極める。心拍数 500。頂上で大の字になって体力回復。次はコアラ。また 10km。コアラ夜行性なのにパシャパシャ写真とられてた。ちょっとかわいそう。800 円でコアラを抱いて写真をとれるが、やめとく。最近動物保護の関係でコアラを抱ける都市が少なくなっているらしい。次、国立大学までまた 10km。でかい。駐車場がディズニーランドのようにある。俺の庭にしたい。

3 月 28 日(金)

大陸最東端という Byron Bay に行く。街は Eastern(キリスト教の祭り)で賑わってる。I 脱皮開始。かゆそう。俺、東南系だから平気。最東端に岬と灯台がある。4 キロくらい歩こう。俺 trecking 中、野生に帰りそうになる。優雅な海水浴場を原始人のような二人が黙々と歩く。トップレスの隣を黙々と歩く。場違い!?

3 月 29 日(土)

遂に Sydney。五輪に向けて建設ラッシュ。観光客は多い。フリマ、埠頭、夜の繁華街などに行く。マックでソフトコーンが 30 円で売っていて感動する。即買。即食。

3 月 30 日(日)

郊外の名所 Blue Mountains に行く。電車はとても静かに走る。ほとんどの電車が 2 階だて。 山といっても高原みたいで岩山と樹海が広がっている。bush walkする。爽快。ジェットコースターのようなケーブルカーで帰る。最大傾斜 52 度だって。

4 月 2 日(水)

最終日。金が余ったので二人ともお買い物に燃える。暇をもてあまして歩きまくる。これで Sydney マスターになった。どんとこい。空港で現地解散。俺は夜行で、I は明日の昼の便で帰る。空港は 24 時間営業じゃなかった。I がどこで野宿したのか俺は知らない。