1997年2月28日

週休二日制について(某バイト応募のための小論)

学校の週休二日制は 7 年程前から段階的に実施されてきた。2001 年には教科時間削減も含めて完全実施となる。その目標は、子供が学業だけでなく精神面も含めてトータルに成長することである。 精神面の成長とはゆとりをともなう個性の充実であり、競争社会・経済第一の価値観からの脱脚が必要である。

しかし、保護者からは反対が根強い。塾通いが増える、子供を受け入れる態勢が不十分、教科時間が減って勉強がおろそかになる、などが理由である。また、協調しない私立校が多いと、週休二日制は骨抜きになってしまう。

都市部には自由な遊び場が少なく、少子化や子供が外に出ない風潮もあって子供が集団で遊ぶ場が形成されにくい。 また、子供を自由に遊ばせよう、と思わずに子供を自分の監督下におきたがる過保護な親が多い。そのような親、学歴や出世を重視することが多く、子供の空いた日を塾通いにあてたがる。そして、彼らは、財政面も含めて週休二日制で自分の負担が増えると解釈する。このような親の価値観は子供の育成を大きく既定している。子供を学歴や地位で競争させるのは親の構図であり、出世・高収入・物質的豊かさが子供の幸せであると思うのは、むしろ親の満足のためである。

それをさしおいて、子供の生活形態や価値観を直接非難してはおかしい。ゆとりのないのは、むしろ親である。企業の週休二日制は特に中小企業で遅れているし、労働の結果より時間の長さが献身度として評価されがちなこと、長い労働時間を前提として企業のアウトプットを保とうとすることは日本的悪習である。

子供は親の姿を見て育つ。心のゆとり、競争社会からの脱皮が子供に必要と言うならば、大人自身もそれを体現する必要がある。親が週休二日制を楽しみ、それを子供と共有できればさらによい。大人が整備した枠の中に子供を入れるだけでは、子供はゆとりに満ちた価値観を育めない。社会基盤はいずれ整う。今必要なのは、子供が能動的に価値観を育めるような精神的風土である。 確かに、数十年もかけて作られた大人の価値観は変わりにくい。しかし、大人が自分のためだけでなく子供のためにも、自分がやりたいことを素直に楽しむ、実益以外のことにも目を向ける、などの努力が必要である。政府は、労働者のゆとりを拡充する政策を並行して実践しなければならない。

経済高度成長が終わった今、年功序列や終身雇用などの出世へのシナリオは崩れつつあり、自由気ままに生きる若者もふえている。大人の新しい価値観の模索とともに週休二日制導入の混乱も続くが、大人の価値観が変わってくるとともに子供の週休二日制も徐々に受け入れられるだろう。