2011年9月22日

男女平等

私は男女平等主義者である.それを公言したことは今日まであまりなくて,いくつか理由がある.

  • フェミニズム,女性論,ジェンダー論という研究分野,思想がある.論客・研究者ごとに主張が異なり,一人一国的に見える.それはよいが,この流れを過激と感じる人は多いようだ.そういうレッテルを貼られるくらいなら,言わない方がましだ.
  • 女性の人気取りだと思われるのは嫌だ.

私がもうちょっと男女平等にする方がよいと思うのは,男女が同じくらいいる社会(特に仕事関係)の方が心地よいからである.

1994年に大学に入ったとき,私は度肝を抜かれた.男子校なのである.理工系なので,当時のクラスの女子比率は5%程度である.年々増えているが,今でもやはり少ない.

私の男子校嫌いは筋金入りである.自慢をすると,高校受験のときに,自分の行った都立高校よりもいわゆる偏差値が遙かに高い御三家だとか何とか大付属だとかいう私立男子校を三つ蹴って共学の都立高校へ行った.理由は,

「近い,安い,共学」

高1のときにクラスメートから「なぜこの高校に来たのか」と聞かれて,とっさに出た三語である.我ながら名言である.

十代の自分って判断力が低くて,今から思えば「ああ,なんでこうしなかったんだろう」という後悔の連続である.そんな中,高校の選択は,私の数少ない成功例である.

しかし,勘違いしないでほしいのは,私は当時はオクテであった.当然モテず,女子に対して積極的に話しかけたり告白したりもしていない.告白なぞ,大学生になるまでしたことがない.女子と話すのに緊張するわけではない,という程度である.

さらに言い訳をすると,共学校にしたのは,女子が多くてむらむらするとか,そういうむっつりとした理由でもない.それとこれとは別だ.男女が同じように居ることが自然で健全だと思ったから,そうしたのである.

大学の理工系学部というところは,私のあまり磨かれていない感性に語らせても,自然の摂理から著しく離れている.そもそも空気が詰まっていて,二酸化炭素中毒で死にそうである.男は女と比べて二酸化炭素を二倍吐くのか,という勢いである.自分もその一人であることは否定しない.

そして,女子が通りかかると,人として以前に「オンナ」としか見なせず,「そんな話題」になる.クラスメートに少数の女子がいれば,陰ではやはり「そんな話題」になる.「そんな話題」一般は,若き日の私も好きであった.だが,大学で交わされていた「そんな話題」は,つまらない種類の「そんな話題」なのである.細かいというか,妄想というか,実行性に乏しいというか...楽しい「そんな話題」ではないので,加わる気がしない.男子校系の男子が皆が皆そうだとは言ってないので,該当しない人は気を悪くされないよう...

ある女友達が東京大学に遊びに来て,私とキャンパスを歩いていた.そのとき,多くのすれ違う男子に「頭のてっぺんから足の先まで,さっと見られている感じがして嫌だ」と言う.彼女の服装は普通であり,何ら露出的ではない.私は,ここに男子大の病理を見た!

往々にして,そのような男子たちには,親しいな女友達がいない場合が多い.「親しい」の定義は人によって違うので,親友並でも,まあまあ程度でもよい.ただ,価値観合わないそのような男子たちに「親しいな女友達」というと,親しいの意味を勘違いされて会話が終わる(または,追撃される).反撃する気も起きない.

男女雇用機会均等法とか言いつつ,男女に格差があるのは見ての通りである.男である私が男が優遇されると困るのは,生活環境としてつまらないから,しょぼしょぼしててつまらないから,の2つの理由からである.平等なのが楽しくて,平等でないのがつまらないからではない.平等主義の話ではなくて,楽しくないものは楽しくないのである.

1つ目の生活環境について:
私が仕事で接する集団は,男社会である.大学,学会,企業関係の講演会,勉強会.どこいっても男子が多い.職柄しょうがないが,私は男女が適度に混ざってるのが自然だと思っているので,なんだか疲れるのである.理系の勉強や仕事を始めて15年以上経った今でも,もちろん男同士が楽しい時もあるが,未だに違和感を覚える.語学,国際関係系,ボランティア,ダンスとか,女子が好みそうなものを私がたまたま(?)好きだから,というのも関係あるかもしれない.

ものごとには平均として言えば,男が得意なものと女が得意なものとあるだろう.数学,物理,情報科学といった私の仕事は,明らかに男が得意としやすい.しかし,それにしても,男子に極端に傾いている.欧米では,同じ学部や職種に,もっと女性が多い.

ただ,何度も強調するように,だからといって,私は女性に対して何かを企てたりするわけではない.

宇宙飛行士のチームを編成するとき,数人のチームの中に女性を一人以上いれるとよいそうである.男性だけだとぎすぎすしてしまい,女性が含まれているとチームがうまくいく,というデータかあるからである(昔どこかで読んだ記事なのだが,ウェブで探しても情報元が見つからなかった.ご存じの方は是非教えて下さい).だからといって,男宇宙飛行士が女宇宙飛行士を性的な目では見ていないだろう(必ず,とは言わないが).仕事によっては,女性だけだとぎすぎすしてしまうが男性がチームに少しいると良い場合もあるだろう.

2つ目のしょぼしょぼしててつまらない,について:
男性が職場で,家庭で,社会一般で女性を対等に(何をもって対等とするのかは論議があるが追究しないでおく)扱わないことが統計としては多い.私には,これが,「しょぼい男性が,自分が社会の少しでも上の方であることを誇示するために,自分より能力が高い女性も自分より下であることにしたい.その手段として男性上位を用いる」ように見える.女性を見下すことにしてしまえば,しょぼい男性も,自分は半分より上だという間違った気分に浸ることができる.

ああ,つまらない.そういうしょぼい男性が多すぎる! そういうしょぼい男性は,男性にも嫉妬したりする.女性に上から振る舞うのは世界の半分を見ないで死んでしまうことである.つまらない.そういう人は,他にも色々な差別感情を持って,狭い世界で生きていることが多いのではないだろうか.男同士で話していても,総合的につまらない男性であることが多い.

日本女性は海外の男性にモテるが,日本男性は海外の女性に概してモテない.外見の違いやレディーファースト的な欧米男子の習慣は,一つの理由であろう.私も当然モテない.

ただ,それに加えて,日本人男子のださい振る舞いも理由であると思う.決断できなかったり,何となく笑っていたり,そして,隠れたところで村意識や各種の差別(男女差別を含む)を抱いていたりということである.もちろん,欧米男子にも各種差別を行う人はたくさんいるが..

英語が話せるかどうかの問題ではない.自分なりにかっこよくあろうとか,信念をもって振る舞おうとかいう態度の問題だ.男である私は,私をとり囲む男性たちにはそうあってほしいものである.幸い,自分の男友達は,そういう意味でかっこいい人が多い.