2021年11月1日

テニュア(終身在職権)と教授昇進の審査

2020年度(アメリカなので、2020年8月〜2021年5月)にテニュア(終身在職権)と教授昇進の審査を受けた。 これについて、話して差し支えない範囲で述べる。

拙著「海外で研究者になる」にも詳しいが、テニュアは我々の生命線だ。これが取れなければ、いつにでも大学を追い出されうる。私の場合、このテニュア取得に失敗したら失職である。

就任2年目にテニュア審査をされることになっていた。

教授になることは大目標だったが、2年目にはとにかくテニュア審査が行われる。
なので、教授昇進審査は3年目以降の機が熟したタイミングを狙うだろう、とずっと考えていた。とはいえ、実力的には機が熟したとしても、学科長が変わると、次の学科長や情勢によっては教授昇進を諮ることが難しくなってしまうことが一般的にある。なので、非常に優秀でサポートも強い現学科長の任期中(私が赴任してから5年以内くらい)に教授審査に進めると嬉しい、とおぼろげながら思っていた。

そのような予想に反して、学科長は、私に興味があればテニュア審査と同時に教授昇進審査も行おう、と提案してきた。
興味がないわけがない!

この提案が行われた大きな一因は、テニュア審査や昇進審査はすごく大変だからだ。
以下で垣間見るように、評価は複雑かつ多角的で、日本の昇進審査と比べてかなり多くの人を本気で巻き込む。
「本気で」というのは投票のみの役割よりはかなり重い役割、という意味だ。

多くの人を本気で巻き込むことの最たるものは、自分の大学外のたくさんの専門家に、私の評価書を書いてもらう過程である。
教授昇進審査なので、助教や准教授ではなくて教授の人に評価書を書いてもらわなければならない。
しかも、共同研究者などのように自分の息がかかった人であってはならない。
さらに、自分の専門とかなり近い人である必要がある。ちょっとした評価書なのではなく、書くのに相当時間がかかるであろう、濃密な評価書だ。すると、そのような評価書を書いてくれる外部の(助教や准教授ではなくて)教授が何人いるか、ということになる。

そんなにたくさんはいるまい。なので、ある年にテニュア審査をやると、評価者の候補リストをかなり使い果たしてしまう。
テニュアは取れたとする。
次の年に同じ人物の教授昇進審査をしようものなら、また評価書をたくさんお願いしなければならない。
ここで、同じ評価者に2年連続で頼むのは難しそうなのだ。
大学としても、前年のテニュア審査のときの評価者とは違う評価者の評価を使って、教授昇進審査を行う方が、評価の独立性という意味でより望ましそうだ(裏はとってないが、そう推測する)。
テニュア審査と昇進審査を同時にやれば、評価書を共通で使えるので、評価者枯渇の問題を避けられる。また、審査を2つ別々に走らせるわけではないので、その意味でも利便性がある。

ただ、私は一つのことが気になった。それは

「増田はテニュアには値するが、教授には値しない。」

という結論を有りにしてほしかったのだ。
読者のみなさんは、「教授になりたいのに、教授になれなくてもいいのか。」と思われるかもしれない。
そういう話ではない。

「この人は教授としてテニュアに値する。」

「この人は准教授としてテニュアに値する。」

は基準が異なる。後者の方が要求レベルが低い。
テニュアと教授昇進を同時に審査されると、両方OKか、両方ダメか、の2択とも受け取れる。
私はそれでは困るのだ。
教授昇進に失敗しても首は取られない。
しかし、テニュア取得に失敗すると首をとられる。
教授よりは首が優先事項だ。
教授は私にとっては高い壁だったので、いくら周りの人が「君なら教授も大丈夫。」とか言ってくれても、全く安心できない。なので、

「教授昇進には失敗したが准教授としてのテニュアはあげます。」

という結論を第三の結論として審査委員会に明確に持っておいてほしかった。
丁寧に学科長と話しあって、この第三の結論は有りだし、ちゃんと審査員が理解するようにする、という旨を確認して頂けた。

さて、テニュアにしても教授昇進にしても、どのような場合に落ちるのか、とシミュレーションしてみた。一番可能性が高い落ち方として思ったのが、1〜2人の外部評価者が辛辣な評価を書いてくる場合だ。
どの大学のこういう審査でもそうだが、評価を誰にお願いするかを決めるのは例えば学科であり、候補者はその決定には参加できない。
上述したように、評価者は候補者と近すぎてはならない。共同研究者等はダメ。
また、候補者には評価者の名前は知らされない。
というわけで、評価者は、候補者の弱い部分も含めて遠慮なく評価を書ける。大学の審査委員会としても、そのようにしてほしい。

評価者がたまたま私と仲の悪い人だったら、、、と思うと、背筋が寒くなる。

ここで、「敵は作るべからず」という大事な教訓が導かれる。

また、私と個人的には険悪でなくても、誰に対しても不当に厳しい研究者、というのがたまにいる。そういう人は、業界でも嫌われていることが多い。ただ、どの教授がどういう性格か、は研究分野が異なると知らないことが多いし、同じ研究分野の人でも知らないことがある。なので、学科が情報を持っていなければ、そういう教授にも評価依頼を送ってしまうかもしれない。
これを常日頃の努力で私が防ぐのは不可能だと思うが、やはり背筋が寒くなる。

評価を書いてもらうために、数ヶ月の締め切り期間が設けられる。
評価者も忙しいし、外部の方だし、ボランティアなので。

また、学科内部で、この人をテニュアや教授昇進に進めてよいか、という会議なりがある。
次には、(学科の上に位置する)学部レベルの委員会でもそういう会議なりがある。

公表されていることとして、学部レベルのテニュアや昇進の会議において、私が擁護者 (advocate) を指定できる。
この学部レベルの会議では、学科長が、私の昇進伺いを数学科として学部に説明する。これは、日本の大学でもよくある光景だ。
ただ、少なくともニューヨーク州立大学バッファロー校においては、学科長以外に擁護者が会議に出席する。
擁護者は、例えば難しい質問や辛辣なコメントが来たときに、「いやいや、そうではなくて増田は○○△△だ。」と候補者を防衛してくれる。
したがって、誰に擁護者をお願いするかを決めたり、お願い(はフォーマルなレターを通じて行うことになっている)の作業などがある。

また別のこととして、どこかの段階で、それなりに多い数の学生から、私の評価書を集める。私の授業をとった学生や私が指導している大学院生などに(候補者からではなく)学科からお願いをする。

こうして、審査には丸1年かかる。テニュアと教授昇進を同時に諮ったから1年かかるのではなくて、どちらか片方だけでも1年かかる。そして、上で説明したように、その過程でとても多くの方を煩わせる必要があることに正直驚いた。
イギリスでは、昇進審査において、確かに他大学の教員に評価書をお願いする。ただ、その数はアメリカよりかなり少ない(評価者の人数は微妙な情報なので書かない)。また、審査の他の部分は、かなり少人数で進む。

我が数学科には30人のテニュア取得前+テニュア取得済の教員がいる。ごく普通の大きさの学科だが、このくらいの大きさの学科になると、毎年誰かしらのテニュア審査や昇進審査が走っている、といって過言ではない。これらは基本的には学科長が主導する。

テニュア審査は、基本的には決まったタイミングで起こる。私なら赴任2年目と決まっていたし、新任の助教なら6年後くらいのあらかじめ決められた年に起こる。(後者の場合、アメリカでは、テニュア審査に通ると必ず准教授に昇進する。他国では、昇進を伴わないテニュア審査、という制度を持つ大学がたまにある。)
しかし、業績が早く出たので、 6年待たずにテニュア審査(+准教授への昇進)を試みることがある。また、准教授から教授に昇進するのは、必須ではないので、タイミングや成功率の見極めで試みることになる。
アメリカには教授の定員がないので、教授を多く作れるほど学科は少しでも強くなると言えるだろう。また、6年待たずにテニュア審査に通る人がいれば、昇進した本人のみならず学科の評判にとっても追い風だ。
ただ、出せば通るわけではない。特に、学部レベルでの会議で他の学部の委員も同意しなければいけない。
なので、学科長のセンス、リーダーシップ、実務力、行動力が問われると思う。
学科長は大きな仕事だ。